物価が上昇
引かれるものが多くて手取りは上がらない
老後うん千万問題
2025問題
ウクライナの戦争が終わるどころか新たにガザ問題が勃発
なんだかいいニュースがなくて、不安になるけど、
そもそも、人は無駄なものにお金を使いすぎなのではないのか?と
感じたりする。
戦争なんて、その最たるもの。
いらない既得権益にからむお金もそう。
怪しい政治献金も、企業間談合的な中で流れるお金も、
パチンコや賭け事的なやつにかけるお金も
本当に必要なものなのか。
というか、そういうことをせざるを得ない世の中を、もっと健全にすれば、
お金は余ったりするのでは?
・・・といろんな方が思っておられるでしょう。
一人の人間に世界は変えられないので、自分の生活をふと顧みて、
もっと無駄が減らせると気づきました。
そして、節約していたつもりで、買わなきゃと思っていたものが、実はいらなかったのではないか、と気づいたりしました。
節約ばかりで、杓子定規な人生だけだとつまらない、と思っていたけれど、
日々のなかで、不便を楽しむときほど楽しく、想像力も沸き、
楽しくお金を使う時が、もっともっと特別なものに感じられることに気付きました。
と同時に、今まで資本主義経済の中、もっと売らなくては、もっと上を目指さなければ、評価されなくては、と思って頑張っていたことは、いったい何だったのだろう、と考えることがあります。
いらないものや、しなくていいことを、無理やり必要なものだと、やらなくてはならないものだと作り変え、推進することの苦しさで、
疲弊している人は、多いように感じます。
ほんとは半分以下の人材でまわるけど、
ほんとは作らなくても世界は困らないけど
ほんとはこの業界はもういらない気がするけど、
でも続けなきゃ。
社会で大量の資源や、人材の無駄使いをして、
家庭で節約して生きている。
個人単位なら、やらないことを、
組織単位ではやるべきことという。
人間社会は、本当に不思議な構造をしている。
そんな風に、感じる時があります。
お読みいただきありがとうございました^^