日本の株価がかなり上がっていたり、円安だったり、物価が上がったり、賃上げの働きかけがなされたり、
それだけ見ると、景気がよくなってきたようにみえるけど、
本当に何かが良くなっているのかはわからない。
昔々のバブルの頃のように、沸き立つものがないような。
きっと、好景気になってきたことを享受されている業界もあるのだろうけど、
沸き立つような景気に感じられないのは、昔と今では、産業の形態が違うからかもしれない。モノのない時代は、モノが買えることが、少しずつ生活が良くなっていって、便利なものが増えていくことが幸せの一つだったけれど、今ではモノはあふれているから、「ミニマリスト」的な生き方のようなものが、若者の間で浸透しているような気がする。
若者ではない私も、昔からシンプルな感じが好きだったけれど、ミニマリスト的な、必要なものだけの暮らしが結構好きだったりする。
モノがあふれている時代に、経済を回そうとすると、
衣食住に絶対に必要なもの以外は、パイの奪い合いになる。
そして、若者は、IT業界か、外資に流れている。当然だとも思う。
必要かどうかわからないものをたくさん作って、たくさん売って、そういうやり方は、きっとやっているほうも疑問を感じて、辛くなったりする時がないのかな・・
ノルマに追われて、売れればOK!みたいな生き方は、もう過去のものじゃないのかな・・・
そんな風に感じる時もある。
中古の物を、海外で売る産業、増えている気がするけれど、
いつか今でいう途上国が、先進国になったら、新しいルールを作らないと、
地球がもたない気がする。
でも、そのころには私は生きていないから、今の生活が守れたらいいのか?
インディアンは、7代あとの世代のことを考えて物事を決めると聞いたことがある。
でも、私たちは、今を見て物事を決める。
今の時代にもし閉塞感を感じている人達が多いなら、
それは、「希望」が少ないからかもしれない。
小さな子供たちを見ていて元気をもらえたりするのは、未来や希望にあふれているから。その光の、おすそ分けをしてもらっているのだと思う。
大人たちは、続く世代に希望を持たせることができるのか。
それとも、自らが希望を失っているのか。誰かに希望を見せて欲しいと思っているのかもしれない。
経済発展を追いかけ、資本主義ばかりの世の中で、希望が持てるのか、わからない。
だって人間だって、生き物なのだ。人間という、動物の一つだから、生き物としての本能的なものを犠牲にして、こうあるべきを追いかけて生きていると、
やっぱり限界がきてしまうのではないのかな・・・
人を動かすのは、私はやはり希望だと思っている。
明日が、今よりもいいものになることを感じられる。心が沸き立つ。
楽しいと、幸せだと感じられる。そういう生き方が、未来につながる。そう思っている。
楽しいならお金を払わなくてはいけない。楽しくないから仕事なんだ。
そういうことを言う人もいるかもしれない。
私も、そうだよねって思っていたけど、今は少し違う。
「楽しい」っていうことは、楽をしているってことではなくて、
「誰かを幸せにしている」「誰かの役に立っている」「これをすることがいい未来につながる」「やっていることに意味が感じられ、希望がある」
こういうことだと思っている。
だから、たとえ少しきつくても、厳しいことを言われても、
意義のあることに時間を費やし、それで生きていけるなら、きっと楽しい。
今の私たちに必要なものは、未来への希望だと思っている。
すべての世代が、希望を持って生きていき、安心して最期を迎えられる国。
そんなおとぎ話みたいな国がもしあるなら、行きたいと思いますか?
それともおとぎ話を、今いる場所で現実にしたい!って思いますか?
たとえどちらであっても、そういう戦い方なら、ボロボロになっても、きっと私は、
大変だったけど楽しかった!って思えそう。
やっぱりおとぎ話かな・・・^^;
お読みいただきありがとうございました^^