最近は、寿命100年時代と言われていて、
昔々の昭和の時代だったら、おじいちゃんおばあちゃんと言われていた年齢でも、
今はものすごく若々しく元気だったりする。
例えば、昔の70代と、今の70代は、全然違うように思う。
時代の変化もあるけれど、
勤めている場所とか仕事によっても、またイメージが違う。
サラリーマンだと、40過ぎたらだいたい決着がついて、
50過ぎたらそろそろ終わりが見えて、55歳~59歳くらいで、出世頭的な人以外は職位をはく奪され、新入社員並みの給与に毛が生えたような給与になり、定年まで在籍する。
その後は、低い給与で再雇用される。そして65歳~70歳くらいで終わり。みたいな。
大人数の会社だと、差はあれどなんとなくそういうイメージだから、
50歳オーバーなんてかなり上の方にいる人という感じになる。
しかし、職人さんの世界で50代といえば働き盛り。
大工さんなどは70代の棟梁さんもたくさん。
地方では50代は若手。
年齢のイメージは、場所や職業、地域などでもものすごく違っているような気がしている。
例えば・・・昔会員カードを作っていた某デパートから、30歳のときから急にミセスのお店の案内が来るようになった。
そうかこのデパートでは、30歳からそちらの売り場に誘導するというイメージなのかと思った。
でも、年齢問わずに作られたもののほうがいいのにな、とちょっと思った。
シニアの方が、若者向けと想定されたものを、喜んで買うかもしれないのに。
機能的に、例えば足に障害のある方が履きやすいズボン、とか、肌が敏感な方向けの自然素材の服、とか年齢を重ねて歩くときに滑りにくい靴底の靴、とか乳児を抱えた人が授乳しやすくぬぎ着やすい服、とかなら、その機能を目的として購買する人は多いと思うけれど、
どんな状況にあるかわからない一人一人に、年齢でアプローチするのは、どうなのかな…と思ったりもする。
マーケティングの世界では、年齢層別に商品を変えてアプローチする例もありそうだけど、人それぞれなのにな・・とよく思う。
私の祖母は、80歳の時に、COACHのサングラスをしていた。人に贈られたものだったそうだけど、よく似あっていた。
体の年齢は、確かに少しずつ年老いていくけれど、
中身は人それぞれで、昭和なレトロなものを愛する若者もいるように、
若者向けのものを好む高齢者もいるだろうに、とよく思う。
企業側や、いわゆるマーケティングを行っている人達、いや、今はAIなのかもしれないけれど、響くものは人それぞれで、売る側から、「あなたの年齢にはコレデスヨ」みたいなことを言われるのはちょっと抵抗感がある。
スマホだって、若者だけのものではないし。
おばあちゃんの佃煮のお店とか、和菓子屋さんみたいなところが好きな若者だって
いるし。
外国では、初対面でまずその人のことを聞くのに対し、
日本人はまず相手に年齢や職業、ポジションを聞く、と聞いたことがある。
年齢で、カテゴライズする方が、楽だし、教育現場には同年代しかいないし、
いろんな年齢でシャッフルされるのは嫌な文化なのかな・・とも感じたりする。
だから、年齢層で分断をあおったりしたほうが、政治への批判をそらせたりするのに有効と思われていたりして・・・?
なんだか邪推をしてしまったけれど、
同年齢だけで過ごせるのは、大学くらいまでだし、「ダイバーシティ」というのなら、まず最大のダイバーシティは年齢の多様化ではないのかな・・・なんて。
日本の企業の幹部のダイバーシティなるものは、まだまだ田舎ほど、男性と外国人男性だったりするけど。
どの世代も、そこそこ幸せに生きられて、どの世代も未来を悲観していなくて、
そしていつか来る衰えを、恐ろしいと思わず生きていける世の中にしたら、
若者だけの問題みたいに言われている少子化も、解決するのではないかな・・・。
だって、今若くても、いずれ中年になって、シニアになっていくのだし。
今の若い人たちは、賢い人も多いから、今だけで物事を見ずに、いずれやってくる将来に、希望があるかどうかでいろいろ判断してるかもしれないのに。
年齢を階層的に分けて、断定的に判断し、時に崇め、時に見下し、
分断させていくのは、どの世代にとっても、これからきつくなるのではないのかな・・・
そんなことを、ふと感じたこの頃でした。
今週手に取った本は、
「お探し物は図書館まで」 青山美智子
「居酒屋ぼったくり」 秋川滝美
どちらも毎日少しずつ、一日の終わりに読みたいお話です。
特にぼったくりのほうは、お酒の知識がめちゃくちゃ増えます(笑)
お読みいただきありがとうございました^^