白うさぎの読書ブログ

読書好きが個人的に面白いと思った本や学び、社会への疑問などについてのんびりと書いている雑記帳です

誰かに言って欲しかった言葉を自分に

あの時、こう言って欲しかった。

あの時、こんな言葉をかけて欲しかった。

小さなころ、褒めてもらいたかった。

頑張りを、見ていて欲しかった。

あの人に、大切にしてほしかった。

 

そういう思いを胸に、頑張って大人になり、社会で頑張って生きています。

 

でも、もう、人にこうしてほしい、という思いは、なくなりました。

 

あの頃、かけて欲しかった言葉は、自分でかけたらいい。

あの頃、やりたかったことは、今、自力でやればいい。

人の頑張りを、見ていてあげたらいい。

自分のことは、自分で大切にしたらいい。

 

そして、誰かのこういう思いを、受け止められる人になれたらいいな。

 

どんなに近い人でも、いつかお別れがくる。

 

大切な叔父が、今日亡くなりました。

 

どんな人でも、永遠には生きられない。

 

縁あって、一時人生の時間を一緒に過ごす人たちと、

傷つけあったり、競い合ったり、

人間はそういうことをよくするけれど、

 

そういったこともいつかは思い出になり、いつか終わる。

 

今、目の前にいる人とは、あと数年で、会うこともなくなるかもしれません。

 

職場の人間関係は、退職すれば終わる。

家族であっても、永遠に一緒にはいられない。

両親も、何事もなければ順番で自分よりも先に逝ってしまう。

 

そういうことを、若い頃は、考えることもなく、未来にあふれ、

悩みも多くあったりしますね。

 

いつか終わる人生や、関係を、大切にしながら進むこと

生きるというのは、そういうことなのかな・・と思ったりします。

 

メメント・モリ」という言葉があります。

ラテン語の言葉で、「死を忘れるな」「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味です。

死を意識することで、今を大切に生きられる、といった教訓のような言葉です。

 

今を大切に。

そばにいてくれる人たちを大切に。

自分を、大切に。

 

そうすることで、前を向いて、生きていけるような気がしています。

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

 

 

わかってるという驕り

もうずっとずっと昔のお話です。

 

「親だから、お前のことは自分が一番わかってる。」

 

そう言われて、なんだか絶望に近い気持ちになったことがありました。

 

なぜならば、

 

この世で一番私を分かっていないのは、親だと、そう思って育ったからです。

 

真面目で、一生懸命な、子供のことを愛してくれている親でした。

 

でも、お前はこんな子、と言われた「こんな子」は、

本当の私とは一番かけ離れたところにいるような人物像で、

理想と、期待と、現実をごちゃまぜにしたような、そんな感じでした。

 

期待に答えてあげたかったけれど、

私が望んでいた生き方は、親のそれとは違っていました。

 

親がやらせたかった習い事は、全くやりたいことではありませんでした。

 

親が誇りに思ってくれていた、私の経歴は、

私の心の幸せにとって何の意味もないものでした。

 

でも、親は子供のことを思って、頑張って仕事をしてくれて、誇りに思ってくれて、

期待してくれているのを知っていたから、

 

苦しくて、消えたくなった日々がありました。

 

期待に応えられない「私」 応えたくない「私」 応える日々を投げ出したい「私」

 

親と子というのは、本当に難しいなと、今でもそう思います。

 

自分の経験から、振り返って個人的に思うのは、

 

その子がどんなに小さくても、意思を持った一人の個人。大きくなれば、なおさら。

言えないこともあるし、知らないこともあるし、親子だからこそ、言えないことも、世の中にはたくさんあるということ。

 

親子ですら、そうなのだから、他人なんて、なおさら。

 

分かっているということばの重みを、よく考えずに口にしている人は、

きっと分かっていないんだろうな・・と感じます。

 

 

でも、苦しいとき、全面的に信じてくれている両親の顔を思い浮かべて、乗り切れたこともありました。

 

「期待に答えられない娘でも、娘でいていいですか?」

これが、そのころ一番聞きたかったことです。言えなかったけど。

 

 

今の私は、家族が無事に家に帰ってきてくれて、

人も自分も大切にできる人でいてくれたら、

それで十分だと感じています。

 

人の数だけ幸せはあるし、それは、その人にしかわからないと、個人的には思っているからです。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

あなたは誰かの大切な人 そしてほかの人も

目の前にいるその人が、たとえば上司だったり部下だったり、同僚だったり、友人だったり。

自分との関係性においてはそうだけど、

その上司だったり部下だったり同僚だったり友人だったりする人は、

誰かのとても大切な人だったりする。

 

例えば子供たちでも、1クラスに30人いたとしたら、

その30人の中でポジションとか人気ランキングとかカーストとか、

そういうのがあったりしたとしても、

その子の親にとってはその子が一番だったりする。大切という意味で。

 

一番が30人いるのですよね。

 

逆に、どんなに自分はダメな奴だーとか思ってても、

子供にとっては自分の親が一番で、大好きだったりする。

 

でも、いろんなことにもまれて生きていくうちに、いつの間にか、あいつよりも自分のほうが上だとか、優先されるべきとか、勝ち組だとか?

 

そこから、不幸が生まれたりする。

 

勝つために、自分を見失ったりする。

 

そうしてまで勝ったはずなのに、なんだか幸せを感じない。

 

自分自身も、きっと誰かの大切な人なのだから、

まず自分を大切にすることから始めてみたらいいのかも。

 

若い頃の私は、「頑張っている私」「頑張らなくてはならない私」

そういうものを維持するために、今思うと自分を苛め抜いていて、それを頑張りだと思い込んでいるところがありました。

 

自分を大切にしていなかったから、他の誰かに大切にされたくて、好かれたくて、認められたくて、ますます自分を押し殺すようなことをしていました。

 

自分を大切にする、ということは、けっして自分の思い通りにわがままを通す、といった意味ではなく、自分の心や、体を、人生を大切にできるのは、守れるのは、最終的には自分だけ、といった意味です。

 

自分を大切にできていないと、人を大切にする、といった意味すら、もしかすると理解できていなくて、

空回りして、苦しくなったり。

 

きっとこれからの人生も、いいことばかりでは決してないと思うけれど、

まるで暗闇を全力疾走していたような若い頃の自分に、何か言えるとしたら、

「自分をもっと大切にして」

「自分の気持ちに正直に生きて」

そう、言いたいです。

 

誰かの期待に答え、誰かに認められ、みんなに好かれたい。すごいと思われたい。

きっとそれは、自分の人生の目標ではなかった。

 

あなたは、きっと誰かの大切な人。

そしてそれは、きっと私も。

 

そういう生き方を、していきたいと思っています。

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

 

甘え

今週のお題「あまい」

「あまい」と聞くと、なんとなくスイーツ的なものを思いうかべたりしますが、

私はこの言葉を目にすると、社会人2年目の頃にお世話になった先輩の一言を、いつも思い出します。

 

とても厳しい先輩でした。

 

当時は、正直なんてひどいんだ・・・と思ったことも。

 

でも、彼女のおかげで、仕事が何たるかを学べ、外で一人で営業に出ても、こなせるようになりました。

一人で、誰にも助けてもらえなくても、責任ある仕事ができるよう、厳しく教えてくださったのだと、今はとても感謝しています。

 

今でも、あぁ、今日の自分はダメだったな・・・と思ったときに、彼女の一言がふと頭に浮かんできたりします。

 

「あなたはね、甘えがあるのよ」

 

今となっては、もうお会いすることもないかもしれませんが、

この一言を言ってくださったことに、とても感謝しています。

嫌われることを恐れず、育ててくださったことは、今振り返るととてもありがたいことでした。

 

あれから何年もたっても、今でも気合をいれたいときに思い出します。

 

 

私もいい年の大人になりました。

自分で自分に喝を入れ、頑張らなくてはならないな・・と思っています。

 

でも、もう一度、

「甘えがあるのよ」って叱ってもらいたい気も・・・

 

厳しかった日々を、今は懐かしく思い出します^^

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

人生を変えた一冊は何ですか

著者の方の考え方が好きで、よく手に取る本の中に、

「人生を変えた一冊はその人が不遇の時代に出会った本で、その本を境にしてその人は生まれ変わった、というくらい重みのあるものだから、本気で親しくなりたいと思った人にしか、人生を変えた一冊は何ですか、という質問はすべきでない。そのくらい際どい質問だ」

といったことが書かれていました。

 

今の私には、すごく共感できる言葉でした。

 

なぜなら、私もそういった経験があるからです。

 

それまでも本は好きで、子供の頃からたくさん読んでいたけれど、

 

本気でガツンと心に響き、自分はなんと無知だったことか・・と感じたあの時、

私は明らかにかつての自分と決別したいと思ったからです。

 

そこから、本気で本を読み、いわゆる学校のお勉強や、仕事に関する知識だけではなく、人間について、人の感情や組織の成り立ち、社会、国、経済、いろんなことを学び、そうしていくうちに、

 

かつて学校で学んで、社会では役に立たないと思っていたことや、一見無駄のように見えることの大切さを再認識しました。

 

自分は、どこか社会ではお客様気分だったのだなと、当時自分を恥ずかしく思いました。

 

いろいろうまくいかず悩んでいたあの頃、衝撃を受けた本は、

ベティ・L・ハラガンという方の書かれた「ビジネスゲーム」という本でした。

もうずっと昔のことだけど、受けた衝撃は今も覚えていて、

今の仕事の価値観とはだいぶ違うと思うけれど、当時組織の中でもがいていた私にとっては、人生を変える1冊でした。

 

そこから、本気で人生と向き合う読書を始めました。

単なる娯楽の小説であっても、とても深い人生観と感情の機微があるのだと感じるようになりました。

 

年を重ね、人生経験を積むことは、とても素晴らしいことだと思えるようになりました。

当時は、実力が伴わないのに年を重ねる、といったことが恐怖で、いつも何か焦っていたように思います。

 

あなたの人生を変えた1冊は何ですか?

 

皆様にすばらしい本との出会いがありますように

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

何気ない会話をすること

私は、子供の頃や、大人になってからも今よりずっとずっと若い頃、

近所の人や、先輩や後輩、同級生、仕事の関係の人、いろいろないわゆるすごく仲がいいわけではないけど知り合いで時々話す他人と、

 

何気ない日常会話を交わすことが、とても苦手でした。

 

「いいお天気ですね^^」みたいなやつですね。

 

いつも余裕がなくて、自分のことでいっぱいいっぱいで、

きっとコスパで動いていて、自分のやらなくてはいけないことや、心の余裕のなさにしか、興味が持てなかったのだと、振り返って思うのです。

 

心が閉じてしまっていて、何もかもが、楽しく思えない時期がありました。

 

他人から見た自分と、本当の自分が乖離しすぎていて、

いろんなものを手にしていたけれど、全部捨てて逃げ出したいような、

消えたいような・・・そんな自分だったから、自分が生きることを楽しめていなかったから、きっと私が話すことも、面白くなかったでしょう。

 

今の私は、昔よりはだいぶ、何気ない日常会話や、一期一会のような会話を楽しめるようになりました。

晴れた日に、洗濯物を干せたり、近所の人と挨拶を交わしたり、

住むところがあること、贅沢しなければ暮らしていけること、健康であること、

いろんなことに、幸せを感じることができます。

 

ずっと頑張ってきたのだから、ここで手放してはいけない。

頑張り続けてきたのだから、ずっと頑張り続けなければいけない。

何かをやめたり、逃げたりすることは悪いこと。

 

そう思っていた時の私は、世の中で自分や他人に起きることは、「自己責任」だと思っていて、自分のことも、もしかすると他人のことも追い詰めていたかもしれません。

 

そういう時代だったのもあるけれど、今、働き方改革が進められ、若い人達が、自分の大切なものを考える時代になったことは、

私にはいいことのように思えています。

 

縁あって、人生において奇跡的に出会えた人たちと、1回切りかもしれないけれど、なんだか楽しかったな・・という時を過ごすのも、人生経験や、才能がいるのかも?と思ったりします。

 

日々一期一会の感覚で、目の前のことや、目の前の人を大切に、

さらっと風のような(笑)感覚で生きられたらいいなぁ・・・

 

そんなことを、春の日に思ったりしています。

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

安全地帯

幸せのつかみ方を、まるで子供の頃から知っているような、誰かに教え導いてもらっていたような、少なくともそう見える、そういう人に時々出会います。

 

そういう人を見るたびに、とても、うらやましいと思います。

 

きちんと、知るべきこと、人間としての最低限の礼儀というか、

いわゆる人同士のwinwinを、ちゃんと学んで育ったんだろうな・・と感じるからです。

 

 

私は、子供の頃両親が忙しく、言えば生きていくために必死な家で育ったため、

学校教育はきちんと受けたけれど、いわゆる躾っぽいことを、受けていなくて、

母に相談したくてもいつもいっぱいいっぱいで、聞いてもらえたこともなく、

表面上元気で健康でも、

いつも、いつも不安を抱えた子供でした。

 

だから、周りのみんなが、普通にいろんなことを選び取っていくことが、

とてもすごいことに思えました。

 

自分が将来何になりたいか、といった夢もなく、

夢も目標もないから当然進路に悩み、学びたい分野も何があるのか知らず、

今のように情報が手に入る時代でもなく、

なので、行ける限りで、できるだけ人から認められる大学に行き、人から認められる会社に入ろう、といった考え方で進んでいきました。お金をあまりかけられないので、国立、公立、といった縛りはありましたが。

 

○○になりたい!とか、こういうことを学びたい!とかそういったものがある人のことを、すごく羨ましく思い、そういうものを持たない自分というものが、すごくコンプレックスでした。

 

生きていくことに必死な状態で育つと、親のためとか、負けない精神で頑張れはするのですが、落ち着いた状態で自分と向き合ったり、ゆったりとした幸せを感じる時間を感じることなく日々のことに追われ、

 

目標「生きること」

みたいになってしまい、夢なんて持てなかったのです。

家族のために頑張っていたため、いずれ大人になって、家族を持って、その家族のために仕事をしてお金を稼いで暮らしていくんだろうな・・みたいな漠然とした未来を思い描いていました。

ただそれだけでした。

 

何かに傷ついても、誰かに傷つけられても、それをどうしたらいいのかわかりませんでした。だから、何も反応できなくて、悔しい思いをしたこともあります。

 

自尊心というものが低く、周りの人をすごいと思ってしまい、都合のいい存在として扱われたこともありますが、逆に周りの人を大切にするということがどういうことなのかわからず、傷つけてしまったこともあったかもしれません。

 

もういい年齢の大人になったので、今の自分は過去のことは消化できているけど、

子供でも、大人でも、学校や部活や習い事や塾や進路や、人間関係や人事や仕事内容や、子供のこと、親のこと、親戚関係などなど

いろいろ忙しく、楽しいこともあるけど時にしんどく、外ではやっぱり緊張して気を使って生きていますよね。

 

そういうときに、ここに帰ってきたら、いろんな不安や苦しさなどがすべてリセットされて、安心して眠れる。そういった場所があるのとないのとで、

人は、天と地ほど変わるのだと、身をもって実感しています。

 

ここでは、ここにいるときだけは、素の自分に戻れて、辛いことも忘れて、笑顔に戻れる。子供の頃、そんな場所を、どれほど求めたことでしょう。

 

そばにいてほしい時にそばにいてもらえない。

助けてほしい時に助けてもらえない。

話を聞いてほしい時に、聞いてもらえない。

決していじわるをされているわけではなく、そうしてほしい人が、いっぱいいっぱいだから。

だから、辛くても、相手も大変なんだから、と飲み込み続け、私はいつしか、それを言葉にできなくなりました。

 

安心できる場所や、それが場所じゃなくても、人でもいいから、安全地帯を持てたら、もっと思い切り、子供でも大人でも今を生きていける。

そして、大人は、その安全地帯を、子供や若い人達のために作っていくことが、

むしろ一番大切な仕事なのではないのかな・・

個人的に、そう思ったりすることがあります。

 

昔、幼い私が悩み話を聞いてほしい時、

辛いことがあった時

助けを求めている時、

そばにいてくれる人がいたら、きっと世界が違って見えた。

 

だから、今は、自分の大切な誰かが話を聞いてほしい時、

辛いことがあったとき、

助けを求めているとき、

それを受け止めるキャパシティを持てる自分になりたいと思いました。

 

昔自分が言って欲しかった言葉を、本の中で見つけた時、本当に嬉しく思いました。

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました^^