白うさぎの読書ブログ

読書好きが個人的に面白いと思った本や学び、社会への疑問などについてのんびりと書いている雑記帳です

春になったら

晴れたり雨だったり、寒かったり暖かかったり、時々暑かったり。

毎日いろんなものが乱高下するこの季節が苦手だ。

 

季節や天気に合わせて、心や体を調整しなければいけないことが増えてきた。

 

思えば、私は、いつの時代も、自分次第で強く生きていけるのだと、

頑張れる奴なんだと、自分のことを思っていた。

 

だけど、強く頑張れたのは、未来に、その先に希望があった時期だったからというのが大きいと、最近よく思う。

 

人生を折り返したら、自分以外の部分が、希望というものを作っていくような気もしている。

それは、例えば子供の成長だったり、人の役に立つ実感だったりする。

自分のことしか見えてなければ、希望は年を重ねるたびに、だんだん減っていくように感じたりする。

 

でも、自分以外のことは、思い通りにはならないから、

自分で自分に希望を持たせたい。

 

春になったら、何か新しいことを始めたい。

模様替えもしてみたい。

新しい苗を、畑に植えよう。

 

春になったら、会いたい人に会いに行こう。会えるうちに。

 

新しい年度が、もうすぐ始まりますね。

みなさまが幸せでありますように。

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

大人になってから雨が好きになったお話

子供の頃、若い頃、雨が嫌いでした。

どんよりとした空に、影響されるかのように心もなんとなくもやもやして、

外で活動することの好きだった私は、なんだか閉じ込められたかのような気持ちになり、天気予報が雨だと、普通のいつものいろんなことがめんどくさいなと思っていました。

くせ毛なのもあり、雨の日の髪の調子の悪さといったら( ^ω^)

きっとくせ毛の方はおわかりいただけるはず。

 

あれから時が流れて・・・(笑)

くせ毛なのは相変わらずですが、

 

雨の日は、心が穏やかになり、焦りが消え、穏やかに自分と向き合える日になりました。

前に前に進みたくて、歩みを止めることができなかった頃と違い、

意識的に止めることの、大切さがわかるようになりました。

 

晴れの日も大好きですが、

晴れた日は晴れた日らしく、

雨の日は雨の日らしく。そういった自然に任せた生き方が、いいなと感じるようになりました。

 

晴耕雨読という言葉がいつできたのか知らないのですが、

とても、いい言葉だと最近思います。

晴れた日に畑仕事をし、雨の日は書を読む。

今だと、晴れた日はバリバリ外で仕事をして、(営業や外仕事、庭掃除、畑?)

雨の日は書類仕事や自分と向き合ったり、家仕事(室内仕事)にあてる。といったところでしょうか?^^

 

晴れた日には人と楽しく過ごし、雨の日には静かに自分を癒す

こういった考え方もあるな、と最近思います。

 

 

今月は、面白い小説に出会い、ちびちび読んでいました^^

知野みさきさんという著者の方の、「妖国の剣士」というシリーズで、今5巻まで出ています。

世界観が素晴らしく、とても楽しめました。

 

以前は、主人公の若者の気持ちに寄り添って読んでいたお話を、

今は親だったり師匠だったり上司だったりの、大人側の気持ちに寄り添って読めるようになりました。視点が変わると、同じお話でも、まるで別の物語のようで、

そういう意味で、楽しみ方が増えたような、そんな気がしています^^

 

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

 

 

希望

日本の株価がかなり上がっていたり、円安だったり、物価が上がったり、賃上げの働きかけがなされたり、

それだけ見ると、景気がよくなってきたようにみえるけど、

本当に何かが良くなっているのかはわからない。

 

昔々のバブルの頃のように、沸き立つものがないような。

 

きっと、好景気になってきたことを享受されている業界もあるのだろうけど、

沸き立つような景気に感じられないのは、昔と今では、産業の形態が違うからかもしれない。モノのない時代は、モノが買えることが、少しずつ生活が良くなっていって、便利なものが増えていくことが幸せの一つだったけれど、今ではモノはあふれているから、「ミニマリスト」的な生き方のようなものが、若者の間で浸透しているような気がする。

 

若者ではない私も、昔からシンプルな感じが好きだったけれど、ミニマリスト的な、必要なものだけの暮らしが結構好きだったりする。

 

モノがあふれている時代に、経済を回そうとすると、

衣食住に絶対に必要なもの以外は、パイの奪い合いになる。

そして、若者は、IT業界か、外資に流れている。当然だとも思う。

 

必要かどうかわからないものをたくさん作って、たくさん売って、そういうやり方は、きっとやっているほうも疑問を感じて、辛くなったりする時がないのかな・・

 

ノルマに追われて、売れればOK!みたいな生き方は、もう過去のものじゃないのかな・・・

 

そんな風に感じる時もある。

 

中古の物を、海外で売る産業、増えている気がするけれど、

いつか今でいう途上国が、先進国になったら、新しいルールを作らないと、

地球がもたない気がする。

でも、そのころには私は生きていないから、今の生活が守れたらいいのか?

インディアンは、7代あとの世代のことを考えて物事を決めると聞いたことがある。

 

でも、私たちは、今を見て物事を決める。

 

今の時代にもし閉塞感を感じている人達が多いなら、

それは、「希望」が少ないからかもしれない。

 

小さな子供たちを見ていて元気をもらえたりするのは、未来や希望にあふれているから。その光の、おすそ分けをしてもらっているのだと思う。

 

大人たちは、続く世代に希望を持たせることができるのか。

それとも、自らが希望を失っているのか。誰かに希望を見せて欲しいと思っているのかもしれない。

 

経済発展を追いかけ、資本主義ばかりの世の中で、希望が持てるのか、わからない。

だって人間だって、生き物なのだ。人間という、動物の一つだから、生き物としての本能的なものを犠牲にして、こうあるべきを追いかけて生きていると、

やっぱり限界がきてしまうのではないのかな・・・

 

人を動かすのは、私はやはり希望だと思っている。

明日が、今よりもいいものになることを感じられる。心が沸き立つ。

楽しいと、幸せだと感じられる。そういう生き方が、未来につながる。そう思っている。

 

楽しいならお金を払わなくてはいけない。楽しくないから仕事なんだ。

そういうことを言う人もいるかもしれない。

私も、そうだよねって思っていたけど、今は少し違う。

 

「楽しい」っていうことは、楽をしているってことではなくて、

「誰かを幸せにしている」「誰かの役に立っている」「これをすることがいい未来につながる」「やっていることに意味が感じられ、希望がある」

こういうことだと思っている。

だから、たとえ少しきつくても、厳しいことを言われても、

意義のあることに時間を費やし、それで生きていけるなら、きっと楽しい。

 

今の私たちに必要なものは、未来への希望だと思っている。

すべての世代が、希望を持って生きていき、安心して最期を迎えられる国。

そんなおとぎ話みたいな国がもしあるなら、行きたいと思いますか?

それともおとぎ話を、今いる場所で現実にしたい!って思いますか?

 

たとえどちらであっても、そういう戦い方なら、ボロボロになっても、きっと私は、

大変だったけど楽しかった!って思えそう。

やっぱりおとぎ話かな・・・^^;

 

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

 

 

 

 

綺麗な心

心が疲れて、なんだかもやもやがたまって。

そういう時、綺麗には生きられないなぁ・・とため息が出たりします。

 

私には、自分の理想の心の状態があって、そういう状態のときは、いろいろなことが上手く進む気がしています。

 

でも、生きていると、迷いとか、不安とか、妬みとか(笑)

いろんな感情に振り回されている自分がいて。

 

新社会人だったころにあんなに純粋に頑張りたいと思っていた気持ちは、

時々、「なぜ」「どうして」「このままでいいのか」「人と比べて私は」

こんな感情に支配され、年を重ねているから、大人のふりができるけれど、

もしかしたら、

大人は若者よりも弱いのかもしれないなと感じたりしています。

 

若者だったころ、大人は自分よりもはるかに強く、

頼れたり、支えてくれたり、守ってくれたり、甘えても許されるのだと、そう思っていました。少しくらいわがまま言っても、いろいろをぶつけても。

 

でも、若い頃よりもはるかに傷つきやすく、繊細になり、でもいろいろ無頓着になり、

強いふりができるようになりました。大人を演じるというか、求められる姿を探すというのでしょうか。

 

でも、どうあっても、純粋で、心の綺麗な部分を、どこかに残しておきたいと、

まっすぐに頑張れる自分でいたいと、そう思う自分がいます。

 

これからさらに年を重ねたとき、心の強さがある人でいたい。

 

 

とはいえ、今はめっちゃお豆腐メンタルな私ですが^^;頑張りたい(笑)

 

 

お正月頃にコロナにかかり、そのあとインフルエンザになり寝込みました。

 

あまり本も読めませんでしたが、復活してまた本がたくさん読みたくなりました。

 

今年も少しずつ、頑張っていこうと思います^^

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

不安の正体

いったい何が問題なのかわからないくらい、問題があふれている気がする。

少子化、介護難民、AIの台頭による人あまり、でも人材不足、円安、賃上げ?増税

ありすぎてよくわからなくなってきました。

 

私の住んでいる地域では、子どもは沢山いる。

少子化どこ吹く風のように、沢山。学校の備品や施設も充実。

でも、先生方へのクレームすごい。

 

ホワイトカラーの人余り。これは恐らく30年前から。

だから30年停滞している。生産性が超悪いから。変わるのに時間がかかりすぎて、

世界的に後れを取ったようにも思う。

 

ブラック企業の人手不足。

当たり前なのになぜ問題だというのかよくわからない。

自給875円とかで、超ブラック労働をする、もしくは遅くまで働くようなところに、いたい人はいない。1000円でも安い。

人がやりたくないこと、きついこと、必要なことだけど時間や体力がしんどいこと、

そういったことをやってくれる人には、高い賃金を払うべきだけど、

今は、よほどの使命感や優しさをもっていて、賃金以外のやりがいを感じている方を除いては、「そこでしか」働けない人達が働いている。

 

ブラックな、本当に人を大切にしないかつ学びも未来もないような仕事をさせるところは、なくなったほうが、新しい風も吹き、社会がまともになる気がしている。

きっとそう思っている人は多いけど、ブラックゾンビ企業はものすごく多い。

 

人を大切にしない社会は、衰退する。私はそう思っている。

 

老人が・・・老害が・・・という若い人たちもいるけれど、

自分もいつか老人になる。

 

問題はそこではなくて、安心して年を重ね、安心して死を迎えられる社会がないこと。

誰もが尊厳を持って、最後まで生きていける。

それでこそ、若いうちに頑張って税を納め、家庭をもち、子どもを持ち、

安心してお金をつかって経済を回すことができる。

節約とか、貯金とか、ある程度の自助努力はいることはもちろんだけど、

いくらもってても不安、というのが日本の停滞感の原因のように私は感じている。

 

日本人は死ぬ直前に一番お金をもっているという人が多い。

なぜなら、年をとったらできる仕事もあまりないし、年金だけでは生きられないことも多いし、お金があっても、居場所がなくなるし、体が弱って動けなくなって、施設に・・・ってことになると、それはまぁすごいお金がかかる。

 

施設にダイレクトに年金がいくように年金手帳とか、保険証とか、そういったものを預けて、そこから必要な代金を引いて残りをお小遣いとして本人に渡すところも多い。

 

厚生年金だと、少し残って、数万お小遣いがあるけど、

国民年金の人は、むしろ足りないから、貯金でなんとかするか、身内が残りを払うことになる。

 

101歳まで生きた私の祖母は、年金を払っていない世代(制度がまだあいまいで)だったので、要介護になり施設に入った後は、その代金は全額自腹、つまり私の父が払っていた。当時で毎月約15万ほど。

 

介護保険ができたのも、当然の成り行きかもしれない。

自分たちの老後を、周りの負担を軽減して生きられるように。

 

子育てもお金がかかる。

でも未来への投資。

老後、体が動かなくなって、死ぬまでの間もお金がかかる。それはたくさん。

そして、当事者になって初めて、真剣に向き合う。

 

そして安く劣悪な施設は存在する。

 

お金をもっているにこしたことはない。老後は特に。

 

尊厳を持った死を迎えるには、お金がかかるのだ。

そして家族の存在も、ある人とない人で、職員の本人への態度が違ってくる。

なにかあった時に抗議される身内がいる人と、誰も何も言わない身内のいない人。

どちらを大切にしますか?

もちろん、どちらも大切にします。という人がほとんどですが、そうでない施設もある。

 

知れば知るほど、老後が怖くなる。

若いうちから、老後が・・・と言っていて、年金がないかも‥と言っていて、

少子化社会保険料が・・・となっていて、

お金、使えるわけがありませんよね?経済を回せるわけがないですよね?

 

世代を分断して、若者、中年、老人、にあたるような世代間で対立させるよりも、

どこに属していても、頑張れば先がよくなる、頑張ったら、最後は安心して過ごせる、って思いたいじゃないですか。

 

でも、不安でいっぱいになることが多くて、いろんなことを手放せない。

それなのに、政府は、

少子化→子供産め 産んだ世帯だけにばらまき 他の税金を納めている世帯は無視

社会保険料がたりない→増税

介護職不足→移民

人手不足→移民→賃金と待遇悪すぎて外国の方が帰る→賃上げ要求→倒産or廃業

女性活躍→男性中心の労働環境のまま女性を入れる→少子化

トラックドライバー不足→労働時間規制→賃金減るor物流の混乱

税金がたりないから増税→なぜか過去最高の税収を誇る→超バッシング→減税と言い出す→財務省敵にまわす→背水の陣イマココ

 

ずっとこんな感じで、つまりはそこじゃない。

 

きっとほとんどの人たちが、そこじゃないよって思っているけど、

政治的に、人口配置的に変えられない国日本。

 

安い国は過ごしやすく、平和で、世界と比べて環境も良い。

なのに、なんでこんなに閉塞感があるのか。

そうじゃない人たちもたくさんいそうだけど、きっと住む場所ガチャもあるよね。

 

東京一極集中になるのが、その証拠。

 

でも、地方で作られた食べ物、地方で作った電力が東京で使われているのも事実。

 

もう、既存のものでキラキラしたものはないのだ。

一過性の流行のようなもの以外は。

 

キラキラしていなくても、せめて安心して生きていきたいなぁ・・・と思ってる人はきっと多い気がする。

 

安心して生きていけるなら、税金高くても、頑張って働ける。

どの世代でも未来が描ける。そんな気がしている。

 

 

たくさんのボヤキを、お読みくださってありがとうございました。

少しでも前向きになれるよう、今日も頑張ろうと思います^^

今日も皆様にとって良い1日でありますように。

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

 

 

 

 

 

突然吸い込まれそうになるあの感情に

寒くなってくると、日照の問題なのか、気温や気圧の問題なのか、時々襲ってくる。

突然の不安が。

 

そういう時に人と話すと、

言わなくてもいいことを言ったり、言いたくもないことをしゃべってしまったり、

そういう時に買い物に行くと、

普段は買わないようなものを買ってしまったり、無駄なものを買って、いい買い物だったと錯覚したり。

 

そういう時、今の私は、きたな・・・と身構え、対策をします。

 

眠る時間があるときは寝るし、そうでないときで家にいるときは料理をひたすらします。お弁当のおかずや、常備菜、パンなどを作り、それを食べること、または家族がよろこんでくれる姿を妄想します。仕事があるときは、帰りにカフェによって、本を読んだり、本屋さんに寄ったりして、素敵な本を探します。

 

そして、日が暮れてきたら、普段はやらないキャンドルをともしたりしてみて、

普段はあまり手に取らない漫画などを読みます。その時に響く本を読みまくるでもよし。言葉や物語の力を借りて、心を前に向けます。

そして、超念入りにスキンケアをしてみたりして、自分をいたわる時間を演出します。

または、ヘッドホンをして、爆音で洋楽を聞く。

 

きっと、対策は人それぞれ。

 

私は、20代のころ、こういう不安や、どうしようもない孤独感といった感情を持て余し、うまく対処できず、体調を崩しそうになったり、仕事に影響が出そうになったり、眠れなくなったり、20代なんて若くて、未来にあふれているはずなのに、

この世の終わりのような働き方や、景気の中生きていたから、

学生時代との輝きのギャップにあらがえず、心がどんどんしんどいほうに傾いて、

気が付いたらうまく笑えない、眠れない、といった状態になり、これはいかん、と、いろいろもがいてみたものの、結局どうしようもなくまた仕事、みたいな感じになって。

 

 

感情は、沸いてくるもので、コントロールしにくいから、

対策をしないと、ドツボにはまるな・・・と年を重ねて学び、常にフラットに戻すために、いくつかやり方をもつようにしました。

 

性格や、心は、生まれ持ったものもあるから、あまり悩まない人、サクッと幸せをつかめてる(ように見える)人、いろいろだけど、

私は、いろんなことを気にしがちで、寂しがりで、でも人づきあいもそんなに得意でなく、でも人が好きで・・仕事も好きだけど優先順位は家族で、でもたくさん働きたくて、でも体力がなくて・・・というものすごくめんどくさい人間で。

 

だから、自分の弱さを知り、自分なりの対処をいくつか見つけておかないと、

いい大人が、周りに迷惑をかけてしまうので、

いろいろ試した結果、上記のようなものにたどりつきました。

 

幸せは人それぞれだけど、何を辛いと思うかも人それぞれ。

だけど、一つのルールの中で生きている以上、うまく適応できないことはきっとあって、うまく心や体のバランスをとるための手段が必要なときは、誰しもにあるのではないかな・・と思ったりします。

 

次の日に、太陽が昇って、日差しを浴びた時、きっと大丈夫、と思える、そんな自分なりの方法を、みんな密かにもっているのでは?と思うこの頃。

大人になって、不安や悩みは、

いろんな人に言うことでもないですものね。

でも本当は、年齢を重ねるごとに、悩みは増えていったりしますね(笑)

 

大人の笑顔は、いろいろなものを乗り越えたしるし。

 

明日も笑えるよう、今日を精一杯頑張ろうと思うこの頃。

 

突然寒くなるの、やめてほしいけど(笑)

 

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

 

言葉のちから

今も悩んだりするときはたくさんあるけれど、

これからもまだまだ人生長いような気がするけれど、

 

今までの人生のなかでは、私が一番苦しかったのは、おそらく20代後半から30代半ばにかけてくらいの時でした。

これからもきっと、いろんなことに悩んで、振り回されると思うけど、

あの時見たく、その感情や思いや、心身ともに感じる疲れを、コントロールできなくはならない気がしています。

 

なぜならば、自分のマイナスな感情に対する対処方法を、今は知っているからです。

そして、人生はいいことばかりじゃないけど、悪いばかりでもないと知ったからです。

 

以前、頭がいっぱいいっぱいになって、わー・・・ってなりがちなときに、私は、その思いというか気持ちを、素直に出すことができませんでした。

うまく言語化できないし、本当に悩んでいることすら、それを口にすることは、負けだと、中途半端なプライドが邪魔して、人に相談する時すら、少しかっこつけていたりして、自分で自分のことを追い詰めていました。

 

それまでも本好きでいっぱい読んでいた気になっていたけど、そのあたりから、

人生というか、心に響く言葉を求めて本を読み始めました。

 

体にとって、食べ物が栄養になるように、心にとって、言葉は栄養になる。

そんな風に実感しました。

そして、自分が悩んできたこと、辛いと思ってきたことが何なのかを理解することができました。

 

いらないプライドが、いろんなものを邪魔していた。

素直に感情や思いをつづれる人に、あこがれていたけれど、

そうできない自分を認めたくなくて、かっこつけて、少し見下してた。

そんな気がします。

そして、

そのプライドは、劣等感や自己肯定感の低さからきていると。

 

自分を認められない人が、人を認められるわけがない。

自分を大切にできない人が、人を大切にすることを理解できるわけがない。

自分を粗末に扱う人が、人を大切に扱えるわけがない。

 

つまりはすべて、自分の中に原因があって、それが、いろんなことに反映されて苦しくなっていたということ。

 

そういうことに向き合う時間さえもなかったから、向き合い方も分かっていませんでした。

忙しいという漢字が、心を亡くすと書くと決めた人は、本当にすごいなと思ったりします。

 

もし、かつての私のように、いろんなことが頭を渦巻いて、

しんどくなっている人がいたら、ぜひ本を沢山読んでほしいと、そう思っています。

 

人に指摘されたらむかつくことでも、本の中でそっと、人ごとのように書かれていたら、きっと、ものすごく心に響くでしょう。

 

さまざまな知識を得ることで、その中から選択することができる。

知らなければ、何もできない。どうしたらいいのかもわからない。

そしてそれは、きっと、学校では教えてもらえない。

 

そういった知識や、感情に名前が付き、理解できる。

たとえそれが、遠い遠い物語でも、自分のそばの出来事のように。

 

ただの物語さえ、身近な例題として、心に響くことがあります。

きつい一言でも、それが誰に向けて書かれているのかわからくても、

自分の言って欲しかった言葉や、求めていた答えが、そこに見つかったとき、

きっとその言葉に救われると思うのです。

 

 

空が高くなりました。

秋の空のように、澄み渡った気持ちで日々過ごせますように。

 

お読みいただきありがとうございました^^