白うさぎの読書ブログ

読書好きが個人的に面白いと思った本や学び、社会への疑問などについてのんびりと書いている雑記帳です

近所のセリア閉店

タイトル通り、私の住む場所から一番近くにあり、よく利用していた100円ショップセリアが閉店した。

 

別の場所の、スーパーのテナントになったらしい。

 

テナント料や集客、いろんな要因があるのだろうけれど、私はそこのセリアが好きだったので、ちょっと寂しい気分になった。

 

・・・と同時に、100円であることの意味を考えたりもした。

 

 

 

バブル崩壊からの失われた30年で、人件費を減らす合戦が行われ、正社員を減らし、非正規を増やし、そしてモノは飽和になり、価値が下がった。

かつてのままのやり方では、生き残れない時代。

いや、そもそも生き残る必要があるのか?と思う時代。

企業や組織に、人を65まで雇うように国が言う。いや、働けるうちは働く方がいいけれど、

人によって体調も違うし、再雇用の方がきつい仕事だったりする時もあったりする。

 

企業や組織に丸投げしすぎ、税金の使い道が下手すぎ、時代についていけず変化が遅すぎ、

仕組みが何重にもなって複雑すぎ、既得権益にメスが入れられなさすぎ。

そんな状態で時代だけが進んでいく。そしてさらに人がいらなくなり、人でないとダメな業界のみが人手不足となり、生活が詰んでいく。

けれど、外から言うのは簡単だけど、何かを変えていくのは、きっと途方もなく大変で、時間のかかる作業なのだろうとも思う。

 

 

商品に見合った人件費をかけた商品を選んで、大切に使い、お金の回し方を変えたい。

そう思った。

小さな小さな1粒くらいの自分の足掻きでは何にも変わらない。

わかっているけれど、そう思っている人たちは多いはず。なぜなら、

災害時や、商品を盗まれた農家さんや、一生懸命頑張っているお店を、応援したり、寄付したりする人が多いから。

 

私は、誰もが人の役に立ちたいと願っている。・・・というか、そういう自分でありたいと願っている、と思っている。

自分が余裕がある時は、誰かを助け、自分が危機の時には誰かの助けを借り、

応援したいと思ったところでお金を使い、たとえ安くても、そうでないところでは使わない。

そんなふうに、変わりつつあると感じている。

 

このままでは、きっと価値あるものさえ消えていく。

そしてそれは、決して遠い未来ではない気がする。

 

時代の変化を受け入れつつ、何を残し、何を消していくべきか、

きっと、消していくべきなのは、人ではないはず。

 

そんな風に、感じた日でした。

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

タイミング

学校を卒業するまで、

そして就職するあたりまで、

ずーっと同じような年齢の人たちと、同じような価値観の中で競争しながら、

若いうちは若い人たちだけで、

そうして同じようなタイミングで社会に出たら、

○○世代、と区分されるような様々な世代がいて、

その時代の景気にめちゃくちゃ左右されて、優遇されたり、見捨てられたりしているから、当然価値観は違ってくるし、そもそも経験値が違うから、誰が正しく誰が間違っているとか、一概には言えないこともある。

 

若い頃、自分が使っていたアイテムは最先端だと思っていた頃がありました。

けれども、今それを覚えている、というか知っている若者はあまりいなかったりする。

きっと話をしたら、化石だと思われることでしょう・・・

 

でももしかしたら、あと数十年したら、あの当時、スマホっていうのが流行っててさ・・みたいになるかもしれないけど。

 

 

世代によって、価値観も違ってきて、

好き嫌いも、求めているものも、

そして同じ商品でも、求めている説明などの濃度も違ってきたりする。

 

教育の場と、社会と、複雑さというか、年齢構成的なものとかが違いすぎて、

ハラスメントの数が増えていく。

 

同じようなタイミングで、同じような年齢の人たちと同じようなことをする。

そしてある年齢くらいから、違う年代と、違う価値観で、同じようなことをする。

そしてそれぞれ違うタイミングで、新しい人生を始めたり、家族をもったりする。

 

日本は、この、タイミングが、大学生くらいまでと、社会に出てからで違いすぎ、

当然同年代だけでつるんできた人たちは、戸惑うことになる。

若者は、おじさんおばさんたちに戸惑い、おじさんおばさんたちは、おじいさんおばあさんや、若者たちに戸惑う。

 

さまざまな時代を生き抜いた経験値と価値観は当然違っていることも多く、

どれが正解とも言えない。

けれども時代的な正解のようなものは確かに存在し、

現在進行形でこれが正解と思えるものを扱っているのは若い世代になりがちになる。

 

人によるけれど、老害とよばれだした人達は、若者の価値観についていけず、

若者はかつての歴史を刻んできたその長い人生をリスペクトできなかったりすることもある。

そして、同年代の中でも、学力や好奇心、価値観などの違いから、同じ方向を向けないこともある。

 

何が言いたいかというと、

つまり・・・

教育現場の年齢が、あまりに横並びで、せめて大学くらいからは、入り交じっていたほうがいいんじゃないかなーということ。

 

入学が優しく、勉学しないと卒業できないのと、

入るのが大変で、出るのは超簡単なのと。

どちらがいいのやら。

 

医学部や工学部などの専門分野を除いて、大学が就職予備校になってしまっている現状。

 

あ、これはまずい、勉強しなければ、と思った時から、

学びなおしてもいいんじゃないか?といつも思うけど、若者の特権のような気もしてしまう。

 

最近は歳を重ねてから、大学に入り直し、学ぶ人も増えてきて、特に有名人の方がそういう選択をされると、大人の学びの認知度が上がったりしますね。

 

最大のダイバーシティ、年齢。

 

横並び、世代間格差。

そろそろここから抜け出したい。

 

そんなふうに思ったりするけれど、実際、若者文化についていけなくなってきている私でした。合掌・・・

 

 

暑くなったと思ったら梅雨で肌寒く、空梅雨だと思ったら災害級の豪雨に双子台風と、何だか大変な気候になってきましたが、どうぞご自愛ください。

お読みいただき、ありがとうございました^^

 

エモいって、なんかいいよね

若者言葉?でエモいという言葉が、少し前に流行っていた気がする。今も流行っているのだろうか。ちょっとわからないけど。

エモーショナルな、的なやつだ。

 

最近は、短く略すの多いよねーと、老婆心ながら思っていたけど、ふと気になって手に取った本がある。

 

「エモい言葉の日常」 蒼井ブルー フォレスト出版

 

エッセイのような、軽い言葉集のような本なのだけど、

若者でも、大人でも、なんだか心に沁みてくる。じわじわと、でも何となくノスタルジーを感じるような。

ちょっと落ち込んだ時に本を開いたら、大切な誰かをふと思い出すような。

そんなゆるい幸せを感じるような、素敵な本でした。

 

 

好きなページの言葉を少し。

 

「誰かのことを思い出させるものはいいものだ。空も季節も匂いも歌も、全部、いいものだ。」

 

「なにが面白いのかよくわからないのだけれど、「とりあえずこの人が笑っているので」みたいな理由で笑いたい。」

 

「あの人って優しかったんだな」みたいなの、気がつく頃にはもう戻れなくて本当にあれ。」

 

「疲れた日はハーゲンダッツの方から買い物カゴに入ってくる」

 

 

日常の幸せを、ちょっとだけ再認識させてくれるような、クスッと笑えて幸せになれるような、そんな本でした。

個人的に、時々夕方に手に取りたいな、と思ったり。

 

 

お読みいただき、ありがとうございました^^

 

無知の知

知らなかったで済まされる。

悪気がなかったで済まされる。

誰も教えてくれなかったからで済まされる。

だってわからないから、で済まされる。

 

これ、いつまででしょうか。

 

個人的に許せるのは、高校生くらいまでかもしれません。

大学生になったら、ある程度の常識はあってほしいし、社会人になったらなおさら。

仕事はこれからかもしれないけれど、それまで生きてきた、学んできたレベルが、

少しみていたら如実にわかる。

 

知らない、わからない、未熟だと、理解していて、教えを素直に請うたり、

すみません、と言える人は見込みがあるように思うけれど、

知らないのに、それを認められないもしくは、そのことに気付いていない。こういう人は結構致命傷のように思える。

 

新人に限った話ではない。ある程度年を重ねた、目上の年齢の人でも、

悪気なく、本当に罪悪感なく無邪気にやらかす人がいる。

それはもうびっくりするほど。

 

そういう人ほど、なぜか人を見下していたり、差別的だったりする。

それはもう、驚くほど。

 

そういうことに気づいたきっかけは、自分自身が無知だったと恥じた経験から。

 

何も知らずに、依頼した内容に対する対価を、高いと言ってしまったあの時から。

 

全然高くなかったのに。

 

やってくださったことに対して、全く高くなかったのに。

 

その内容を、労力を、知らなかったことによる驕り。

 

払う方だという驕り。

 

そういう部分が自分にもあったのだと、ものすごく恥ずかしかった。

随分前の出来事だけど、今でも思い出して震える。

とても申し訳ないことをしたと、今でも思っている。

 

生きている限り、全てわかることなんてない。

知らないことは無尽蔵。

学ばないと、すぐいろんなことに疎くなり、疎いだけでなく、傲慢になる。

そんなふうに思って、危機感を感じた。

 

 

そんな出来事を、ふと思い出したこの頃。

今でも汗が出ます・・・

 

 

しばらく更新できなかったのですが、また少し本を読みました。

次回はそれをご紹介しようと思います^^

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

寂しさはどこから

「最近寂しくて仕方ない」

と、以前上司がポツリと漏らしたのを聞いたことがある。

当時その人は50代。

 

そのときまだ若かった私には、あまりピンとこなくて、

そうなんだな、といった感じで受け止めていた。

 

でも、今、歳を重ね、あの言葉をふと思い出す。

 

寂しさというのは、人間の普遍的な感情で、当然感じるものだ。

きっとあの時の私は、いろいろ恵まれていて、未来が広がっていて、忙しくて、

そういう感情を理解できないほど幼かったのだと思う。

 

失恋経験のない人が、失恋した辛さを想像できないのと同じで、

歳を重ねて、いろんな人との出会いと別れがあって、永遠はこの世にないのだと、

そう理解したころから、この「寂しさ」という感情を本当に理解できたように思う。

 

当たり前にいた人がいなくなってしまったり、

ずっとあったあのお店がなくなったり、

ずっと一緒にいた人と進む方向が分かれたり、

ずっと友達と思っていた人と疎遠になったり、

いろんな喪失と、永遠がないことを知る経験を重ねて、より深く、寂しさを感じるようになったように思う。

 

大人になった今、心に風が吹きそうになったら、

書店に行こう、温かいものを飲もう、会いたい人に会えるうちに会いに行こう、

美味しいものを食べよう、お風呂に入ろう。など、いろいろ対策する。

けれども、この感情をコントロールするのはなかなかに難しい。

 

でも大人だから、

やせ我慢するのだ(笑) だって大人だから。

 

友人は、寂しさや虚しさを感じた時、スーパーに買い物に行くのだそう。

人がいて、音楽がかかっていて、食べ物があって、何を作ろうかな、とちょっとワクワクしてるうちに、元気になるのだとか。

 

最近はまっている私の心の上げ方。

それは、運動と掃除と断捨離。

スッキリすると、前向きな力が湧いてくる気がするのだ。

 

 

筋トレも、元気の源の一つ。

でも、まず見た目でテンション上げたいよね、とついマットとかグッズをいろいろ買ってしまった私(汗)

 

散財注意・・・

 

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

世のため人のため

若い若い頃、「世のため人のため」に働ける人に憧れていました。

そういう力や知識を持ちたいと、そう思っていました。

 

人のために動ける人は、強くて、優しくて、そしてそういう知識もあって。

そんなふうに。

 

時が流れ、今の私は時々こう思います。

「世のため人のためってどういうことをいうのかな?」

 

 

大学生の頃、「人の役に立つ仕事がしたい」と言った私に、

周りの男子学生は、公務員を薦めました。

 

そして似たような考え方の女子は、医者になり、教師になりました。

 

私は、経済の力を持って、世の中を良くしたい、といった、おままごとのような気持ちで、金融に進みました。

 

そして、いろんな業界のことを漏れ聞くたびに、

こう思い始めました。

 

「世のため人のため」の、世、と人、は、人によって違うのだと。

 

その人にとっての「世」とは、自分の住む半径300メートルくらいの地域かもしれないし、県かもしれないし、国かもしれないし、地球かもしれない。

その人にとっての「人」とは、配偶者かもしれないし、子供かもしれないし、

市民かもしれないし、人類かもしれないと。

 

そして、年齢を重ね、家族を持ち、

世界→国→街→地域 と、自分の中の「世」は小さくなり、

「人」は、人類→日本人→地域の人→家族と小さくなっていきました。

 

無限に未来の広がっていた大学生の頃は、遠い水平線しか見えておらず、

現実を知った今では、手の届く範囲しか見渡せない。

 

どっちがいい、ということではなく、

大切なものは、大切にしなければいけないものは、その時々で変わっていくのだと、

変わらなければいけないのではないかと感じているのです。

 

ニュースを見たり、本を読んだり、ネットで調べたりと、

いろんな情報にアクセスできるけれど、自分の力は小さくて、世界は狭くて、

目の前で必要としてくれている人を置いて、世界を救いにいくようなことはできなくて、本当にすぐそばの、小さな小さなことしかできない。

 

そんな自分に、少し葛藤を覚えることもあったりします。

 

でも、これがあきらめる、ということかもしれません。

あきらめる、という言葉は、「明らむ」から来ているとされており、

「真実や道理をはっきりと見極め、そのうえで受け入れ、執着しない」といった意味だそうです。

 

歳を重ねるたびに、いろんなことが明らかになり、執着したくなるけれど、

さらっと前に進める人になりたいなぁと、そう思います。

 

なかなか難しいのですが・・

 

目の前にいる人達を大切に、やるべきことをかみしめて、

今日も頑張ろうと思うこの頃です。

 

 

朝晩寒くなってきました。

皆様お風邪などひかれないよう、ごうぞご自愛ください^^

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

壊れゆくもの

結構強めのタイトルです・・・

 

「自慢の娘」

この言葉を聞いて、どうお思いですか?

 

もし自分が言われたら、どんなふうに感じますか?

 

私は、この言葉が本当に嫌いで、プレッシャーで。

 

常に、しっかりして、親の理想通りの進路に向かう娘。それ以外は不要。って言われているようで。

 

私の父親は、自分のカバンについているアクセサリ―を増やしていくように、

子供に、○○高校、○○大学、○○(株)勤務、○○と結婚して、子供は○○に通っている。

みたいな自慢をしたい人でした。

 

そして、一つでも欠けたり、辞めたりすると、

そんなのはお前じゃない、元のお前に戻れ、と言う人でした。

 

 

コンプレックスをすごく持っている人で、

みんながそれに振り回されていました。

 

思ったことを何も考えずにパッと口にして、

それに対して相手が怒ると、「なんで怒っているのかわからない」という人でした。

説明しても、そんなことは言ってない、自分はそんな人間じゃない、と言って、

指摘した人間を、ひどい奴だ、という人間でした。

 

そんな人が父であることを、

 

私はずっと恥じていて、生まれてきたことを、本当に申し訳なく思い、

生きた心地のしない子供時代を過ごしました。

 

 

自分の都合のいいように、相手の言葉を解釈し、

何があっても自分の非を認めず、

いつも他罰傾向の考え方をする人で、すごくすごく、苦しめられてきました。

それでいて、罪悪感はゼロで、「自分は子供のことが大好きないい父親」と口にしていました。

 

黙っていることのできないたちで、耳に入ったことは、全部人に話してしまうので、

秘密が守れないし、そのことで本当に嫌な思いをしました。

 

 

結婚して家を出て、あれから年月が流れ、

 

そんな父が、

認知症になりました。

 

 

記憶がもたないので、まるで始めて話す内容であるように、何度も何度も、同じことを繰り返し、

非を認めず、全盛期の時の自分と今を重ね、

周りを馬鹿にする発言をし、

悪い部分がエスカレートして、かつ自分の発言を覚えていない、という状態に。

 

 

周りは疲れ果て、でも、体は元気なので、施設やケアマネさんのお世話にもなれず、

小さな商店経営をしているのでまだ仕事をしているのですが、

その権限も手放さず、おかしな判断をして、損失を出す。

指摘すると、切れる。

 

 

八方ふさがりの状態で、今、皆が疲弊しています。

 

こうやって、今まで積み重ねてきたものが壊れていくんだな・・

引退するタイミングを逃すと、こうなるんだな・・と感じ、

反面教師で、ほんと長生きしたくないな・・と思ったり。

 

私は、ちょっとでも自分がおかしいな、と衰えを感じたら、すぐに引退しよう、

迷惑をかけないように、予防に努めよう。

それでもどうしようもなくなったら、相談できる病院を作っておこうなど、

いまから思っているけれど、どうなることやら。

 

 

永遠はないからこそ、いつまで、といったことを意識して生きなければ、

自覚のないままいろんな局面に直面してしまい、いろんな始末をつけることもできず、

父は、大変な荷物と、責任を周りに押し付けたまま、

きっと何も気にすることなく、このまま生活し、いつか死んでいくのでしょう。

 

 

いつか、老後、引退したら、旅行に行って、

と言っていた母。いつか、旅行の時に、このバッグは使うの、とプレゼントしたバッグを前に嬉しそうに言っていた母は、きっといつかがくることもなく、父の世話に明け暮れ、

もう、旅行にはいけないね、と言っていて、

なんだか涙が出ました。

 

仕事、ステイタス、プライド、

そんなものは、あの世には持っていけない。

最期までそばにいてくれる人を大切にしなくてはいけないのに、

外ばかり見ている父。

 

使うべき時にお金を使わず、仕事づけの毎日。

 

 

そして今、それが終わろうとしています。

 

父は、仕事ができなくなることが、この世で一番の恐怖であるようで、

からしたら、仕事なんて、生活の手段だから、

生きていけるなら別にこだわらなくても・・と思うけど、

仕事大好き人間、権威大好き人間、ステイタス大好き人間の父には、

そう思えないようです。

 

 

親を、教師にしたり、反面教師にしたりして、子供は生きるものだろうけれど、

今、その最後のターンに入っています。

 

得た教訓

「必要な貯金をしたら、あとは有意義にお金を使う」

「そばにいてくれる人を大切にすることで、周りも大切にできる」

「あの世には持っていけないものほど、人は執着する」

 

 

これからまた戦いが始まります。

 

 

今回は暗い内容ですみません。

 

ちょっと息抜きに本を何冊か読んでいるので、次回はそのお話を^^

 

 

 

お読みいただきありがとうございました^^