どこかに私が輝ける場所があるんじゃないか
どこかに、うまく溶け込めるところがあるんじゃないか
ここじゃないところに行ったら、幸せになれるんじゃないか
そんな風に思ったことありませんか?
私は若い頃、しょっちゅう考えていました。
そんな時、あるお仕事で知り合った教師の方に、こう言われました。
「置かれた場所で咲きなさい」
なんだかどこかで聞いたことのある言葉だな・・・と思いました。
そうだ、本の題名で、そういうのがあった。
その本を、本屋さんで見かけて、パラパラと斜め読みしてみたけれど、
違和感を感じました。
その本がいいとか悪いとか、そういうことを言うつもりはないけれど、
私が考えるに、環境というものはとても大切で、一緒にいる人たちもとても大切で、
それがない、感じるということは、やっぱりそこじゃない、ということなんじゃないかと。
ここなら、生きていける。我慢できる程度の苦痛や大変さで、頑張ったら少しは報われる、そして自分の価値観に合う。
それぐらいは、わがままにならないんじゃないかと。
自分に向いた場所がある。
そこは、すぐ近くかもしれないし、遠くかもしれない。
自分で作り出せる場所かもしれないし、
自分で変えていくことで作れる場所かもしれない。
ここではないけど、未来のここかもしれない。
視点をずらす、見方を変える、価値観を変える、その場所を変える。
きっと、ある程度幸せに生きることのできる場所や、価値観がある。
その価値観で生きると決めたら、そういう場所にしてしまう。
そういう生き方のほうが好きだなって、そう思ったんです。
私の、求めていた場所は、
安心して笑えて、ごはんがおいしいと思えて、明日がまた来ると思える場所。
そしてその「場所」は必ずしも場所を示すものではなく、「人」でもいいということ。
その人やその人達といると、安心して生きられる。
場所でも、人でも、そこにいたいと、いてもいいのだと思えるところがあれば、
その人の居場所はきっとそこなのだと、そう思うのです。
それを知るには、自分の思いに嘘をつかないこと。
自分で自分をだまさないこと。
自分に嘘をつき続ける生き方は、きっといつか辛くなるから。
あの頃の私に、何か言えるとしたら、
人ではなく、自分の心に聞いて、安心できるところを探していいよ、ということ。
すでにそこにいたことに、気付いていないだけかもしれない。
すべきことやモノが多すぎて、
感じる力が弱くなっているだけかもしれない。
自分の心を、思いを大切に。
そうすることで、自分にとって大切な人も、大切にできると思うから。
自分の思いに正直になることは、照れ臭く恥ずかしく、なんだか青臭く思えて、
苦手だったけれど、
今ではその青さも、懐かしく思い出したりしています。
お読みいただきありがとうございました^^