幸せのつかみ方を、まるで子供の頃から知っているような、誰かに教え導いてもらっていたような、少なくともそう見える、そういう人に時々出会います。
そういう人を見るたびに、とても、うらやましいと思います。
きちんと、知るべきこと、人間としての最低限の礼儀というか、
いわゆる人同士のwinwinを、ちゃんと学んで育ったんだろうな・・と感じるからです。
私は、子供の頃両親が忙しく、言えば生きていくために必死な家で育ったため、
学校教育はきちんと受けたけれど、いわゆる躾っぽいことを、受けていなくて、
母に相談したくてもいつもいっぱいいっぱいで、聞いてもらえたこともなく、
表面上元気で健康でも、
いつも、いつも不安を抱えた子供でした。
だから、周りのみんなが、普通にいろんなことを選び取っていくことが、
とてもすごいことに思えました。
自分が将来何になりたいか、といった夢もなく、
夢も目標もないから当然進路に悩み、学びたい分野も何があるのか知らず、
今のように情報が手に入る時代でもなく、
なので、行ける限りで、できるだけ人から認められる大学に行き、人から認められる会社に入ろう、といった考え方で進んでいきました。お金をあまりかけられないので、国立、公立、といった縛りはありましたが。
○○になりたい!とか、こういうことを学びたい!とかそういったものがある人のことを、すごく羨ましく思い、そういうものを持たない自分というものが、すごくコンプレックスでした。
生きていくことに必死な状態で育つと、親のためとか、負けない精神で頑張れはするのですが、落ち着いた状態で自分と向き合ったり、ゆったりとした幸せを感じる時間を感じることなく日々のことに追われ、
目標「生きること」
みたいになってしまい、夢なんて持てなかったのです。
家族のために頑張っていたため、いずれ大人になって、家族を持って、その家族のために仕事をしてお金を稼いで暮らしていくんだろうな・・みたいな漠然とした未来を思い描いていました。
ただそれだけでした。
何かに傷ついても、誰かに傷つけられても、それをどうしたらいいのかわかりませんでした。だから、何も反応できなくて、悔しい思いをしたこともあります。
自尊心というものが低く、周りの人をすごいと思ってしまい、都合のいい存在として扱われたこともありますが、逆に周りの人を大切にするということがどういうことなのかわからず、傷つけてしまったこともあったかもしれません。
もういい年齢の大人になったので、今の自分は過去のことは消化できているけど、
子供でも、大人でも、学校や部活や習い事や塾や進路や、人間関係や人事や仕事内容や、子供のこと、親のこと、親戚関係などなど
いろいろ忙しく、楽しいこともあるけど時にしんどく、外ではやっぱり緊張して気を使って生きていますよね。
そういうときに、ここに帰ってきたら、いろんな不安や苦しさなどがすべてリセットされて、安心して眠れる。そういった場所があるのとないのとで、
人は、天と地ほど変わるのだと、身をもって実感しています。
ここでは、ここにいるときだけは、素の自分に戻れて、辛いことも忘れて、笑顔に戻れる。子供の頃、そんな場所を、どれほど求めたことでしょう。
そばにいてほしい時にそばにいてもらえない。
助けてほしい時に助けてもらえない。
話を聞いてほしい時に、聞いてもらえない。
決していじわるをされているわけではなく、そうしてほしい人が、いっぱいいっぱいだから。
だから、辛くても、相手も大変なんだから、と飲み込み続け、私はいつしか、それを言葉にできなくなりました。
安心できる場所や、それが場所じゃなくても、人でもいいから、安全地帯を持てたら、もっと思い切り、子供でも大人でも今を生きていける。
そして、大人は、その安全地帯を、子供や若い人達のために作っていくことが、
むしろ一番大切な仕事なのではないのかな・・
個人的に、そう思ったりすることがあります。
昔、幼い私が悩み話を聞いてほしい時、
辛いことがあった時
助けを求めている時、
そばにいてくれる人がいたら、きっと世界が違って見えた。
だから、今は、自分の大切な誰かが話を聞いてほしい時、
辛いことがあったとき、
助けを求めているとき、
それを受け止めるキャパシティを持てる自分になりたいと思いました。
昔自分が言って欲しかった言葉を、本の中で見つけた時、本当に嬉しく思いました。
お読みいただきありがとうございました^^