はたから見たら、十分持っていそうに見えていても、
なぜかその幸せを感じることのできない人がいる。
いつも、なんか不安で、うまく笑えない。笑ってるふりはできるけど、
家に帰ったら疲れ果てている。
その根本は、家族との関係が大きいのかもしれない。
愛されていた、という自覚。それを感じることなく大人になってしまうと、
嘘でも、利害関係でも、自分を必要としてくれていると思える人に、振り回されるようになる。
父親が、兄が・・・そういう話を、何十年もしてくる人がいました。
その人は、今はもう80歳。
父親は、30年以上前に亡くなっているのです。
長男優先の家で、次男の自分は居場所がなく、
長男びいきで自分には手をかけてくれなかった、愛情をもらえなかったと、
ずっとずっとそういう話をされていて、
何回聞いてあげても、また数日たったら同じ話をされるという繰り返しでした。
でも、その人は結婚もしていて、子どもも二人いて、独立していて、
経済力もちゃんとある、社会的地位のある人でした。
仕事の場では普通に仕事をしていて、ちゃんと大人なのに、お酒が入ったり、親しい人との食事などの時には、まるで幼稚園児のように、愛情不足を訴えるのを見て、
身近な人に愛された、という実感は、
人が生きていくうえで、とてもとても重要な、心の強さを作るものなのだと、
そして、誰もが、大切にされた記憶で、誰かに大切にされることで、日々を乗り切っているのだと、
そう感じました。
だから、誰かを愛せる人、誰かを大切にできる人、
無意識に人を大切にできる人を、私はとても尊敬しています。
人を愛するには、大切にするには、愛されるということがどういうことなのか、知っている必要があるからです。
生まれた場所とか、学歴とか、お金とか、そういったものよりも、
大切にされるとは、人を大切にするとはどういうことなのか、
それを知っている人は、育ちがとても健やかで、安定感があるように思います。
そして、そういう人は、周りを大切にすることで、
周りを幸せにしてあげられる。
幸せを感じる力は、大切にされた記憶から作られる。そんな風に思ったりします。
それは大人になってからでも、きっと遅くないはず。
お読みいただきありがとうございました^^