「成功」とか「幸せ」の定義は人によって違うけど、
でもみんな、幸せになりたい、なんかある程度成功した人になりたい、って思っているのではないのでしょうか。
でも、成功するため、幸せになるために、
学生時代まで、まじめに勉強し、先生の教えを守り、努力をしてきたキラキラした若者の、目を一瞬で曇らせる組織があるのも確か。
そして、いろいろある中でも、日々は回っていくのも確か。
男女差別があろうと、若者が暮らせなかろうと、格差社会になろうと、いらない仕事を維持しなくてはならなくても、リストラが多くなっても、
社会はなんとなく回っていって、なんとなく時間が過ぎて行って、
気が付いたら結構年をとってる。
人は誰しも、人の役に立ちたいし、大切な人を幸せにしたいし、幸せに暮らしたいし、誰かに認められたい生き物なのに、
認められるポジションが少なくて、人が余っていたり、性別ではじかれたり、競争に負けたり、勝つために何かを犠牲にしたり、
いろいろな苦しみや、感情を何年も味わっていくうちに、
やる気に満ちた若者の目は、いつしか無機質に日々をこなし、生き残りをかけるための競争に巻き込まれ、輝きを失っていくこともある。
誰もが認められたいという気持ちがあるのなら、人を認めてあげればいいけど、
自分よりもあいつが認められるのは許せない、とか、あいつを認めると自分より出世してしまうかもしれないから足をひっぱりたいとか思うようになって、
なんだか大人なんだかこどもなんだか、こども以下なんだか・・といった人間に、だんだんとなっていってしまう。
そうなってしまった人を、たくさん見ました。
そして恐ろしかったのは、
そうなってしまったように見える人たちの多くが、若者の頃、とても優秀だった、という過去を持つこと。
普通の会社員レベルだと、
安心して最後まで会社にいられないかもしれない
今のままだと老後に苦労するかもしれない
先が見えずどうしたらいいのかわからない
みたいになっているから、不安が先走って、若者よりもはるかにたくさん給与をもらっていたとしても、
自分がまず助からなければ、しがみつかなければ・・ってなるのかもしれません。
頑張って頑張って頑張った結果、
それが報われたりするのでしょうか
それともその時だけちやほやされて、
後に、いらない人とか言われたりするのでしょうか
そうやって、時代を支え、優秀と言われていたかつての若者たちが、
数十年後にリストラ候補になったり、いらない人になったりしているのを見て、
今の若者は、数十年後の自分に重ねたりしますよね。
夢が持てないと、思ったりしまよね。今はよくても、数十年後は・・・と。
あとに続く人に、希望を与えられる社会でなければ、いずれ来る自分たちの未来に希望がないということなので、閉塞感は続いていくと思います。
「あんなふうになりたくない」というのは、その個人への感情というよりも、
自分もこのままいくと早くて十数年後はそうなるのか・・・それは嫌だ・・という、組織運営や会社などに対する思いや焦りに似た感情ではないでしょうか。
年齢や経験を重ねた分、できることも増え、学べる時間や知識も増え、結果喜ばれる人間になりたいと誰もが願っているのではないでしょうか。
「若いうちだけ」という価値観というのは、いわば労働者が欲しい、ということ。
プレイヤーとして、低待遇でもきつくても働いてくれる若く体力のあるうちしか、組織にはいらないよ。ということ。管理職以上になったら、よほどパフォーマンスの良い人しか残らなくていいからね、高いから。という方向へ。
これで、若い人が、「自分たちは必要とされている」と思うのか、
自分もあと20年もすればいらなくなるから、その間になんとかせねば・・と思うのか
そしてようやく手にした影響力を、今度は簡単に手放したくない、としがみつくよりも、その経験値があるからこそできる違う何かの選択肢が、たくさんできたらいいのにな、とも思います。
もっと頑張っている人の、頑張りが報われる社会になればいいな。
みんなが安心して年を取れる国のほうが、やっぱりいろんなモチベーションがあがるのでは・・・と考えたりしています。
お読みいただきありがとうございました^^