ずっと前、
ある一定のレールにのって、
こうあるべき姿を追い求め、
周りの期待に答え続け、
他人のこうしてほしい、という思いに敏感に反応し、
本当は全然ダメダメなところだらけの自分を隠して、
いいかっこの自分だけを、外で見せようとして頑張っていたところ、
頑張れなくなりました。
そんなとき言われました。
「かっこいい」は「かっこ悪い」だよ。と。
なんだそれ?と思いましたが、
時間がたって納得^^; かっこつけはよけいかっこ悪く見えるってことですよね。
自分の能力とか、やれること以上に大きく自分を見せても、絶対ばれてるし、
いつかパンクしてしまうかもしれない。
ありのまま、とは大人には言えないけど、
ちゃんと心身を整えて、ある程度の礼儀と誠実さをもって、
できることを、一生懸命やって、
助けられたり、時に助けたり、
弱いことを受け入れて人の弱さも認めたり、
そうやってコツコツとやってたら、
ずいぶん遠くまで来ちゃったな、といった感じでいいのかな・・と最近は思います。
やっぱり得意分野と、そうでない分野があって、でも当時の私は、全部得意にしないといけない、となぜか思っていて、
できない部分がある自分を見せてはいけない、と頑張っていて
でも振り返ると、できないことがあるのは当たり前で、
もし当時の自分が目の前にいたら、今の私はすごく嫌だろうなと思いました。
できない自分や、怒られる自分や、かっこ悪い自分を認められなかった。
すごく、驕った考えですね。
なぜそんな風に思いがちだったかというと、
「頑張っていないと愛されない」「頑張っていないと認められない」
「すごくないと、生き残れない」
と
おびえていたから。
要は、自分に自信がなかったのです。生身の自分自身に。
だから、肩書や、評価を追い求めてしまっていたのです。
なぜ自身がないのか。つまり自己肯定感が低かったのか。
生まれや育ちなどもある程度あるかもしれませんが、今振り返ると、おそらく自分が、人の弱さとか、ダメな部分を受け入れることのできない小さな人間だったからです。
人の弱さを否定する、ということは、自分が弱いと否定されると思っているということ。
人のダメな部分を受け入れられないということは、ダメな自分では受け入れられないと思っているということ。
要は、自分自身が作り出した感情におびえて、理想の自分でいなければいけないと思い詰めていたのです。
自立していると思っていたあの頃、私はとても幼い人間だったと思います。
そんなにいつも強く、理想通りに動ける人間なんていないし、
弱みを見せたくない私の前で、弱みを見せてくれる人も、結局はいないでしょう。
本当に、かっこつけはかっこ悪かったな・・と思います。
私の、凝り固まった感情を溶かしてくれたのは、そばにいてくれる人達と、本で出合ったいくつかの言葉でした。
自分の感情に蓋をして、頑張りすぎてしまうと、自分が何を求めているのか、何があったら満たされるのか、わからなくなってしまうかもしれません。
時々立ち止まり、ダメな自分を「今日全然だめだったわー」と言える大切な人達と過ごして、時々、空を見たり、言葉の力を借りて、
今日もかっこ悪く頑張ろうと思っているこの頃です。
お読みいただきありがとうございました^^