「何ものかにならなくてはいけない」
皆様は、なんかこういうこと、思ったことありませんか?
私がこういった感情に心を振り回されていたのは、就職して最初の転勤があり、そこで自分の未来であるであろう先輩たちの姿をたくさん見て、
未来は詰んでいる と思った頃でした。
その先輩たち(女性)の名誉のために言っておくと、みなさんとても優秀で、やる気もあり、チームを率いていける厳しさとリーダーシップもある方たちでした。
ですが、全く女性が上に上がれない(対外的にはそう言ってはいないけど)業界で、役員層、部長クラスは100%男性。女性が未来を描けない、長くいても飼い殺しになるかも・・と思える組織でした。
ある程度上に行くには、独身で、40歳を過ぎ、もう結婚出産で辞めることはないかもしれないな、とか上司に(勝手に)思われ始めてから、みたいな不文律がありました。
この会社にいても、先が見えないと焦り、迷い、恐怖にかられ、
間違った形で何者かになろうとしていたのです。
たくさん教材買ったり、セミナーいったり(笑)
今、当時を振り返って、若かったな・・・^^;と思います。
きっと、何者かにならねば>< と思ってしまう状況というのは、個人的には
「そのときにいる場所が合わない」ということだと思うのです。
すべきことは、もしかしたらその場を飛び出し、自分にあう、というか少しでも嫌じゃない仕事環境を得るために頑張ることで、
恐怖からそこを動かずに、その代替えとなるなにかスッキリさせてくれるであろうことをお金を払ってさがしてしまったり、
誰かが答えを教えてくれるんじゃないかと人に依存したりすることじゃないですよね^^;
当時の私が目の前にいるなら、今の私はそう言うと思います。
何者かになるってなんでしょうね。
職業人として何かのプロになるといったことなのか
どこかの組織で人よりも上に立つことなのか
夫や妻になることなのか
父や母になることなのか
子供に頑張ってもらって、あんなすごい子供にして優秀な親だね、と言われることなのか
それとも?
○○の学生 どこどこの社員 ○○さんの妻(夫)○○ちゃんのお母さん(お父さん)
「自分」という個人で生き、頑張っていることはどうでもよく、
どういうところに所属しどういう役割の人なのか、ということが重視される社会。
そして何かを手放したらやり直しがききにくい社会。
ポジションも減り、仕事自体も減り、何かをなそうとしても、上がつかえまくって世に出るのが結構難しい社会。
でも、自分に向いていることで、それがたとえすごいことじゃなくっても、
少し何かに貢献してお金をいただいて、目の前にいる人や自分を大切にして生きる、
とかでも、いいじゃん!と思うようになりました。
「誰かにすごいねと言われたい」誰かって、誰なんでしょうね。
不特定多数の人?それとも自分の周りにいるせいぜい多くて数十人くらいの人たち?
私は、当時自分の周りの数少ない人たちの目を気にして、自分の心に嘘をつき続けました。
今はわかります。一番苦しいのは、自分自身の感情に蓋をして、自分に嘘をつき続けることだと。
そんなふうにして何かに成果を求めるよりも、今、そばにいる人が、嬉しそうに笑顔を向けてくれたら、それはとてもすごいことだと今の私は思います。
何者かになりたかった過去の自分が、今の私に、
「あなたは今、何者になっているの?」ともし聞いてきたら、
自分と向き合って、自分の良心に従って、精一杯地味な人生を歩んでいる、「私」だと、そう答えると思います。
お読みいただきありがとうございました^^