特別お題「わたしがブログを書く理由」
私は、人と接することも好きだけど、あまり長い時間大勢の人と過ごすと、疲れてしまって、一人こもって本を読んだりしたくなる。
なぜなら、その関係性によっては、社交辞令だらけだったり、うわべだけだったり、
皮肉だったり、相手が自分をどう位置付けているかだったりがわかるから。
往々にして、人間社会には本音と建て前が存在し、それをうまく使い分けたり、嗅ぎ分けたりできない人間は、適応していきにくい世界だと思う。
この関係性だったら、当たり障りない天気だったり、気温だったり、台風のお話だったり、いわゆる個人的なことに触れないようなドライな会話を。
このくらいの距離だったら、愚痴などはうんうんと聞いて、でも一緒になって悪口などは言わない。完全聞き役的な会話を。
この人たちには、同じ会話で盛り上がっているようにみせるため、ある程度の共通の知識がいる。流行りもの、スポーツ、諸々な会話。
本当に、心に沸いたこと、疑問、悩み、どう生きたい、など、ちょっと重めで、人に言いふらされたくないことは、人に言わないに限る。
どこで、どうそれが使われるかわからないから。
不安の種をまくよりも、距離をとって、安全に生きたい。
そんな風に思っている自分が、どこかにいて、
自分でも面倒くさいなといつも思う。
最近では、繊細さん、とか敏感さん、とかHSPとか、なんか名前がついているけれど、
そういう部分が、私にもあるのかもしれない。
言葉の嘘が簡単にわかる。
そしてそれに嘘の笑顔で合わせることは、とてもしんどい。
世の中に、明らかにやらないほうがいい仕事、いわゆるブルシットな仕事があふれている。でも、誰もそれをやめようとは言わない。
仕事がなくなるから。そしていかにしてそれに予算をつけ、人を雇い、何かやったように見せる。
そういった、社会を回すための無駄が嫌いだ。嘘の言葉と同じように。
でも、世の中にはあふれている。
そういった、いろいろな嘘のあふれた世の中で、建て前で笑って生きる。
いつもそうではないけれど、大人の社会には、そういうところが必ずある。
私は、文章を読んだり、書いたりすることが好きです。
なぜなら、文章は嘘も書けるけれど、いろんなとらえ方もできるけれど、
読みなおしたり、推敲したり、心を表現したりできるから。
読みたい人だけが読み、読みたくない人は読まなければいいのだから。
人の発する言葉のように、聞きたくなくても耳に入ってきたりしない。
読みたいと思って、自分が選んで読む。
書きたいと思ったことを書く。
そして、ブログではいろんな人とつながれる。きっと、読みたいと思って読んでくれた人たちと。
そして、いろいろなもやもやを、文章で言語化することで、
自分が何でそれが嫌だったのか、どうしたかったのか、これからどうするのか、
自分と向き合うことができる。
私にとって、「言語化する」ということは、心を整理できるのと等しい。
そして、そんなめんどくさい私が、他の人のブログを読み、楽しいこと、参考になることを知ることで、やってみたいことや、人生の幅が広がる気もしている。
書きたいから書く。
読みたいから読む。
こうして書いてみると、私は、きっと、人生の主導権を人に渡したくないんだな(笑)
やっぱりめんどくさい奴ですね^^;
お読みいただきありがとうございました^^