もうずっとずっと昔のお話です。
「親だから、お前のことは自分が一番わかってる。」
そう言われて、なんだか絶望に近い気持ちになったことがありました。
なぜならば、
この世で一番私を分かっていないのは、親だと、そう思って育ったからです。
真面目で、一生懸命な、子供のことを愛してくれている親でした。
でも、お前はこんな子、と言われた「こんな子」は、
本当の私とは一番かけ離れたところにいるような人物像で、
理想と、期待と、現実をごちゃまぜにしたような、そんな感じでした。
期待に答えてあげたかったけれど、
私が望んでいた生き方は、親のそれとは違っていました。
親がやらせたかった習い事は、全くやりたいことではありませんでした。
親が誇りに思ってくれていた、私の経歴は、
私の心の幸せにとって何の意味もないものでした。
でも、親は子供のことを思って、頑張って仕事をしてくれて、誇りに思ってくれて、
期待してくれているのを知っていたから、
苦しくて、消えたくなった日々がありました。
期待に応えられない「私」 応えたくない「私」 応える日々を投げ出したい「私」
親と子というのは、本当に難しいなと、今でもそう思います。
自分の経験から、振り返って個人的に思うのは、
その子がどんなに小さくても、意思を持った一人の個人。大きくなれば、なおさら。
言えないこともあるし、知らないこともあるし、親子だからこそ、言えないことも、世の中にはたくさんあるということ。
親子ですら、そうなのだから、他人なんて、なおさら。
分かっているということばの重みを、よく考えずに口にしている人は、
きっと分かっていないんだろうな・・と感じます。
でも、苦しいとき、全面的に信じてくれている両親の顔を思い浮かべて、乗り切れたこともありました。
「期待に答えられない娘でも、娘でいていいですか?」
これが、そのころ一番聞きたかったことです。言えなかったけど。
今の私は、家族が無事に家に帰ってきてくれて、
人も自分も大切にできる人でいてくれたら、
それで十分だと感じています。
人の数だけ幸せはあるし、それは、その人にしかわからないと、個人的には思っているからです。
お読みいただきありがとうございました^^