白うさぎの読書ブログ

読書好きが個人的に面白いと思った本や学び、社会への疑問などについてのんびりと書いている雑記帳です

わかってるという驕り

もうずっとずっと昔のお話です。

 

「親だから、お前のことは自分が一番わかってる。」

 

そう言われて、なんだか絶望に近い気持ちになったことがありました。

 

なぜならば、

 

この世で一番私を分かっていないのは、親だと、そう思って育ったからです。

 

真面目で、一生懸命な、子供のことを愛してくれている親でした。

 

でも、お前はこんな子、と言われた「こんな子」は、

本当の私とは一番かけ離れたところにいるような人物像で、

理想と、期待と、現実をごちゃまぜにしたような、そんな感じでした。

 

期待に答えてあげたかったけれど、

私が望んでいた生き方は、親のそれとは違っていました。

 

親がやらせたかった習い事は、全くやりたいことではありませんでした。

 

親が誇りに思ってくれていた、私の経歴は、

私の心の幸せにとって何の意味もないものでした。

 

でも、親は子供のことを思って、頑張って仕事をしてくれて、誇りに思ってくれて、

期待してくれているのを知っていたから、

 

苦しくて、消えたくなった日々がありました。

 

期待に応えられない「私」 応えたくない「私」 応える日々を投げ出したい「私」

 

親と子というのは、本当に難しいなと、今でもそう思います。

 

自分の経験から、振り返って個人的に思うのは、

 

その子がどんなに小さくても、意思を持った一人の個人。大きくなれば、なおさら。

言えないこともあるし、知らないこともあるし、親子だからこそ、言えないことも、世の中にはたくさんあるということ。

 

親子ですら、そうなのだから、他人なんて、なおさら。

 

分かっているということばの重みを、よく考えずに口にしている人は、

きっと分かっていないんだろうな・・と感じます。

 

 

でも、苦しいとき、全面的に信じてくれている両親の顔を思い浮かべて、乗り切れたこともありました。

 

「期待に答えられない娘でも、娘でいていいですか?」

これが、そのころ一番聞きたかったことです。言えなかったけど。

 

 

今の私は、家族が無事に家に帰ってきてくれて、

人も自分も大切にできる人でいてくれたら、

それで十分だと感じています。

 

人の数だけ幸せはあるし、それは、その人にしかわからないと、個人的には思っているからです。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました^^