大量生産大量消費、稼いでは使う。競争に勝ち抜く。
そんな日々に疲れてきた頃、なんだか家の中の持ち物が多いことが、とてもストレスになっていました。
引っ越しをすることになったのですが、いくら梱包してもしても、箱をいくつ用意しても終わらない箱詰め作業。
モノの量が、キャパシティを超えていたことに、初めて気づいた瞬間でした。
学生の頃からずっと使っていたもの、社会人になって10年近くたっていて、その間に買ったもの、結婚前に使っていたものと、後から買ったもの。そんなものたちががたくさんありました。
そういえば増やすことはしてたけど、減らすとか、処分するとか、したことないということに気付き、それはパンクするわ・・・と、かなり大人になってから気づいたのです。
そして、そんなときに手に取った断捨離っぽいことの書いてある本。
ものすごく衝撃でした。
その後も、物を処分することが苦しく、売ろうとか、人にあげようとか、いろいろあがいてみたけれど、
自分が使わない、いらない、と思うものを、果たして人がほしいのか?と思い、
リサイクルショップにいったん丸投げをしてみたのですが、100点くらい持って行ったのに2000円・・・えΣ( ̄ロ ̄lll)
恥ずかしいことに、当時の自分は、自分の持ち物は、すごくすごく価値がある、なんて思っていたのですね。どんなものであっても。古い服でさえも。
モノに執着があったことに気付き、着ていないのに持っている服とか、使わないのにとっているものとかで、使えるものは一応親族とか親しい友人とかにいるか聞いてみて、いらないといわれたものは処分することにしました。
それから、生きることが少し楽になりました。
暮らしを管理できるようになることで、不安が少し減りました。
でも、そこがスタートで、あの頃よりもすごくすごく物が減ったけど、
今でも時々見直して、整理は今も少しづつ継続しています。
スッキリした暮らし、小さな、自分にあった暮らしを目指して、片づけ始めた頃、
私の心に変化がありました。
それは、今までの自分を、俯瞰で見れるようになったこと。
いっぱいいっぱいで、なんて周りに迷惑をかけていたんだろう・・
そう気づいたとき、なんか恥ずかしくて走り出したくなりました。
自分はまじめに頑張っていて、いい人間だと思っていた。
でもそれは独りよがりで、周りを幸せにできていなかった。
それなのに、周りに認められたい、認められないとあがいていた。
そして何よりも、自分が何を求めているのか、どうしたいのか、どう生きたいのか、何がしたかったのか、自分のことが、何も分かっていなかった。
そういったことに、突然気付いたのです。
周りの雑音が減り、自分と向き合う余裕が生まれたら、
突然本当の自分が見えるようになって、
その自分の姿は、とても滑稽でした。
本当の意味でのお金の大切さや、
何を大切にして生きるべきなのか、
今、やるべきことは何なのか。
何も分かっていなくて、どう生きたらいいのかわからなかったのに、
私にはやるべきことがある、と突っ走っていたことに、
そしてその過程で周りを犠牲にしていたことに
突然、気付いたのです。
広い世界を見ていて、自分の足元を見ていなかった。
なんで、必要もないものを買っていたのか。
買わなかったらお金は余るのに。
今の私は、食品とか、本当に必要なものだけを買いに行き、
そうでないものは、買い替えが基本です。
そして買った食品は食べきり、お弁当持参なため三食自炊です。
唯一の散財は・・・本かもしれません^^;読書はやめられない・・・( ^ω^)
そして、物や時間の余裕が生まれたら、
できるだけ、環境に配慮して、応援したい企業や商店でものを買い、
自分がこうありたい、という姿に近づきたい・・という思いが生まれました。
自分だけでなくて、周りや、次の世代のことを考えて生きたいと、
そんな自分に驚いたけれど、
年を重ねること、自分に向き合うこと、自分の弱さを直視することで、
逆に心が強くなれたように思うのです。
どれだけあったら生きていける
どのくらいのものを必要としているのか、
物でも、仕事でも、対人関係でも、自分が求めているものを知ることで、
無理をしなくなるように思います。
自然体の自分が、心地よいと思えるポイントを探し、そのあたりで生きていきたい(笑)
そんな風に思っています。
小さい暮らしは、自分に合っていて、楽しいです。
そうなるまでに、時間がかかったけれど、
自分らしく、生きたいです。
お読みいただきありがとうございました^^