年を重ねて大人になって、
最近、時間の大切さをひしひしと感じます。
ずっとずっと若い頃は、小さなことにも悩んで、考えてもどうしようもないことを沢山考えて、立ち止まって、蹲って。
そんな時間がたくさんありました。
でも、立ち止まっても、考え込んでも、前へ進んでも、
時間は止まることなく流れ、命の残りカウントは、着々と減っていく。
つまりおばさんになっていく・・・あわわわ・・( ̄ロ ̄lll)
だったら、目の前の1分1秒を、その時に集中して、
地味だったとしても、最高にキラキラしたものにしたらいい。
すべてのことに意味があって、たとえばただの掃除だったとしても、
家族が綺麗で清潔な場所で過ごせるための、素敵な仕事に思える。
最近は、そういう思考回路に持って行こうとしている自分がいます。
遠い未来のことは、考えてもどうにもならないから、
一応の対策(貯金とか?(笑))をコツコツとしながら、目の前に集中して生きる。
今日一日を、どう生き切るか、そういったことを考えるほうが
楽しく生きられるな・・と思ったりしています。
過去にあったこと、後悔、辛かった思い出、楽しかったあの頃
この先どう生きるか、ちゃんと生きていけるのか。
こういうことが、ぐるぐる頭に渦巻いて、闇落ちしそうになるときが、
ふとしたきっかけで訪れたりして、
そういうとき、どうしたらいいかわからなくて、
以前、義母に、悩んで不安で眠れないときがあるんです。って相談したら、
「誰にでもありますよ」って言われました。
何当たり前のこと言ってるの?みたいな感じで。
すごく強くて、キラキラした女性に見えていた。
そんな義母に、「あたりまえじゃん。人間だもの」的な返しをされて、
憑き物が落ちたように楽になりました。
そうだよね、人間だもの みつを(みつを先生すみません)
きっと、誰にでもあるこの不安な気持ちを、乗り切るために知恵をつけるのが大人。
経験や、知識、そして知恵。
そういうときの処方箋は人それぞれ違うだろうけれど、
そういうものを持っておくといいのかも。
蹲っても、悩んでも、泣いてても、時はずっと流れて、止まることはない。
でもその時間が解決してくれることもある。
蹲ることも、泣くことも、立ち止まっている時も、それはそれで、
自分にとって必要な、大切な時間だったと思いたい。
1分1秒だって、自分の命の時間には変わりなく、
キラキラしてても、うずくまっていても、変わらず過ぎていくけれど、
どんな時も自分にとって必要な時間だったと、
そう思えるために、自分と向き合いつつ生きていきたい。
そんなふうに、思っています。
読書の秋ですが食欲の秋でもあり、気をつけねば^^;
お読みいただきありがとうございました^^