「普通○○だろ」
「あいつは普通じゃない」
昔、そんなことをよく口にする上司がいました。
自分に対して言われたのではなくても、それを聞くたび、自分の心臓に何か刺さったような、嫌な気持ちになりました。
普通ってなんでしょうね。
世間体的には、人生における「普通」というのは、
ある程度の学校出て、ある程度のところに就職して、そこそこの年齢で結婚して、いい具合の年齢で子供つくって、定年まで仕事頑張って、子供を育て上げたら、そのあと嘱託などでそこそこ働いて、そのあとは孫の成長を楽しみにしたりして、そこそこの年金でゆっくり暮らし、だいたい平均寿命とちょっとくらい生きて、家族に看取られてこの世を去る。
ということなのでしょうか?
すごく平凡で、すごく簡単のように書いたけど
このすごく平凡に見えることを得たり、維持したりするのは、
すごくすごく大変なことなのですよね。
これを「普通」と言われてしまうと、
最初のある程度の学校出て、のところでつまずいたり、
ある程度のところに就職、でつまずいたり、
そこそこの年齢で結婚、をしなかったり、
いい具合に子供つくることをしなかったり、
定年前にリストラされたり、合わなくて仕事辞めたり、
嘱託なんてなかったり、
孫どころか子供が遠くにいて帰ってこなかったり、
年金が少なくて生活がきつかったり、
定年してもローン残っててゆっくりできなかったり、
看取ってくれる人がいなかったり、
何か一つでもだめだと、「普通じゃない」「おかしい」と言われてしまうのでしょうか
「普通こうだよね」っていう言葉の使い方、私はあまり好きではありません。
なんか、「普通」と「異常」があるような気がして。
普段通りの日々が過ごせた、っていう意味で、
「今日どうだった?」
「普通」
っていう「普通は」、とても好きです。
その「普通」が、突然失われるかもしれないから。
可もなく不可もなく過ごせた、っていうのは、実はつまらないことじゃなくって、
結構すごいことなのかもって思うから。
「行ってきます」って笑顔で言って、それを見送ったのが最後になってしまった家族のいる人を、何人か知っています。
「おやすみ」って言って、朝、起きてこなかった家族がいる人も。
みんな幸せになろうとして頑張って、いろいろな道があったりいろんなことがあったりして、乗り越えたり立ち止まったりしながら頑張っているのだから、
いろんな人生があるよね、っていうのが普通なんじゃないかな・・と私には思えるのです。
「普通○○だろ」って言ってた上司は、
自分が思っている普通から少しでも転がり落ちたら、自分は「おかしい」って思うのでしょうか。
それとも、自分は普通側だって思いたくて、そう言っていたのかも?
もしかしてマウンティングΣ( ̄ロ ̄lll)
わかんないけど。
人それぞれの人生を、尊重して生きる。
それが普通だよねっていう社会だったら、きっと皆もっと生きるのが楽になるのにな・・・なんて思ったりしています。
お読みいただきありがとうございました^^