白うさぎの読書ブログ

読書好きが個人的に面白いと思った本や学び、社会への疑問などについてのんびりと書いている雑記帳です

普通だと思っていることを失うのは一瞬

「普通○○だろ」

「あいつは普通じゃない」

昔、そんなことをよく口にする上司がいました。

自分に対して言われたのではなくても、それを聞くたび、自分の心臓に何か刺さったような、嫌な気持ちになりました。

 

普通ってなんでしょうね。

 

世間体的には、人生における「普通」というのは、

ある程度の学校出て、ある程度のところに就職して、そこそこの年齢で結婚して、いい具合の年齢で子供つくって、定年まで仕事頑張って、子供を育て上げたら、そのあと嘱託などでそこそこ働いて、そのあとは孫の成長を楽しみにしたりして、そこそこの年金でゆっくり暮らし、だいたい平均寿命とちょっとくらい生きて、家族に看取られてこの世を去る。

 

ということなのでしょうか?

 

 

すごく平凡で、すごく簡単のように書いたけど

このすごく平凡に見えることを得たり、維持したりするのは、

すごくすごく大変なことなのですよね。

 

これを「普通」と言われてしまうと、

最初のある程度の学校出て、のところでつまずいたり、

ある程度のところに就職、でつまずいたり、

そこそこの年齢で結婚、をしなかったり、

いい具合に子供つくることをしなかったり、

定年前にリストラされたり、合わなくて仕事辞めたり、

嘱託なんてなかったり、

孫どころか子供が遠くにいて帰ってこなかったり、

年金が少なくて生活がきつかったり、

定年してもローン残っててゆっくりできなかったり、

看取ってくれる人がいなかったり、

 

何か一つでもだめだと、「普通じゃない」「おかしい」と言われてしまうのでしょうか

 

「普通こうだよね」っていう言葉の使い方、私はあまり好きではありません。

なんか、「普通」と「異常」があるような気がして。

 

普段通りの日々が過ごせた、っていう意味で、

「今日どうだった?」

「普通」

っていう「普通は」、とても好きです。

 

その「普通」が、突然失われるかもしれないから。

可もなく不可もなく過ごせた、っていうのは、実はつまらないことじゃなくって、

結構すごいことなのかもって思うから。

 

「行ってきます」って笑顔で言って、それを見送ったのが最後になってしまった家族のいる人を、何人か知っています。

 

「おやすみ」って言って、朝、起きてこなかった家族がいる人も。

 

みんな幸せになろうとして頑張って、いろいろな道があったりいろんなことがあったりして、乗り越えたり立ち止まったりしながら頑張っているのだから、

 

いろんな人生があるよね、っていうのが普通なんじゃないかな・・と私には思えるのです。

 

「普通○○だろ」って言ってた上司は、

自分が思っている普通から少しでも転がり落ちたら、自分は「おかしい」って思うのでしょうか。

 

それとも、自分は普通側だって思いたくて、そう言っていたのかも?

もしかしてマウンティングΣ( ̄ロ ̄lll)

わかんないけど。

 

人それぞれの人生を、尊重して生きる。

それが普通だよねっていう社会だったら、きっと皆もっと生きるのが楽になるのにな・・・なんて思ったりしています。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました^^