白うさぎの読書ブログ

読書好きが個人的に面白いと思った本や学び、社会への疑問などについてのんびりと書いている雑記帳です

無駄なことは無駄じゃないときもある

効率よく、今、必要なことを、必要なだけ、最短で。

みたいな生き方をしていた頃がありました。

 

そのとき必要なこと以外は、雑音に思え、それらを排除して頑張ればきっと上手くいくと思い込み、

 

いわゆる受験勉強の追い込み時期みたいな働き方や、時間の使い方をしていた頃、

私は、表面的にはともかく、内面がぐちゃぐちゃで、意味のわからない焦燥感に駆られ、ひたすら頑張り続けることしかできなくなっていました。

 

だから、好きだったテレビからも遠ざかり、

大好きだった洋楽を聞くことも減り、

本を読む時間も、探す時間もなく、

仕事をするために、人に認められるためだけに生きているような、

目の前が灰色の景色に見えていた頃がありました。

 

組織からはなれ、少し時間ができた私は、初めの頃は、やるべきことは沢山あったはずなのに、何をしていいかわからない、という状態になりました。

 

家事なども、こんなことは片手間にすることで、なにかもっと追いかけなくては、みたいな焦りに、どうしようもない不安に、苦しみました。

 

世の中には、必要なことと、無駄なことが存在し、無駄はできるだけ排除したほうがうまくいくのだと、

視野の狭い生き方をして、頑張っていると思っていました。

 

自分が「無駄」だと思っているものは、必要のないものなのだ、と決めつけて。

 

あれから時が流れて、

ふと思い出すのは、本当にくだらないことで笑いあったことだったり、

暇つぶしに読み始めた物語だったり、

子供の頃に読んだ絵本だったり。

仕事の合間に入ったカレー屋さんのカレーが、物凄くおいしかったこととか(笑)

仕事で思い出すのは、こんな仕事をした、とかではなく、仕事で出会えた同僚や先輩、助けてくれていた上司のこと。もっと、人に向き合うべきでした。

 

幸せを感じるのは、

休みの日に、家でゴロゴロしていて、冬なら日差しが温かくて、

庭の花が綺麗だねーってボーっとしている時とか。夏ならエアコンきいてて幸せだとか。

ゆっくりコーヒーを入れたりするときとか、

図書館で面白い小説を見つけたときとか^^

家で、ひとりで自分と向き合ったり、家族と過ごしたりする時間の余裕が、何よりも自分が求めていたことなのだと、

気付いたのは、結構かなりの大人になってからでした。

 

コスパ、ではなく、今はタイパ、という言葉もあるようですね。

 

時間はみんなに平等で、1日は24時間しかなくて、

人の人生は、皆平等にいつか終わる。

 

だとしたら、できる限り、幸せだと思えることに時間を使いたいと、

今はそう思います。

それが、家族のための家事だったり、育児だったり、

家族を守るための仕事だったり、

誰かの幸せを守ることだったりするなら、それも幸せだし、

 

一生の使命感を持って取り組める仕事に出会えたなら、それも幸せだし、

 

きっと、時間の配分は人によって違うと思うけれど、

忙しすぎると、何を大切に思っているのかもわからなくなるから、

一見なにも生み出さない自分と向き合う時間は、結構大切な時間なのではないかな・・と個人的に思います。

 

仕事を始める年齢になってからは、人生は結構長い。そんな気がします。

でも、長い人生の、一瞬一瞬はとても短い。

優先順位は人によって違うけれど、

大切に思うものや、ことを、見失わないよう、時々立ち止まる時間を持つことは、

とても有意義なものに思えるのです。

 

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました^^