忙しい、忙しい。
そんなことをしょっちゅう言っている人がいました。
でも、そこの職場の誰もが、その人が暇なのを知っていました。
なぜなら、景気的に冷え込んで、ほぼほぼみんな暇だったので、
その人のところにまわす仕事なんてなかったからです。
その人は当時の私よりもかなり先輩だったけど、
なんだか滑稽に見えました。
ひどいことを言うようだけど、あんなふうになりたくない、と思いました。
でもそれは、その人がそうしている気持ちが、すごく分かるというか、そうしちゃうよね・・と共感する部分があったからです。
「必要とされたい」
「そこにいて価値がある人と思われたい」
これですね。
その気持ちが自分の中で抑えられないような状況になると、
忙しい=必要とされてて仕事を振られまくっている自分
というアピールをしてしまう、といった状態です。
冷静にはたからみると、すごく滑稽だけど、
組織の競争の中、ポジションが減って、自分のアピールできるものがない、となったときには、仕事の奪い合いのような、成果の奪い合いのようなことはよく起きがちだと思います。
そこで、自分の心とか、ストレスを抑えることが限界になると、
いろんな態度に出てしまったり、言わなくていいことを口走ってしまったり、
人は弱いので、そういうことが起きがちのような気がしています。
誰かに必要とされていたいのは、
おそらく誰もがそうでしょうから、みんなが平穏でいられる働き方ができれば、それが一番いいのでしょうけれど、
きっと優等生だった人ほど、まじめな人ほど、一生懸命頑張って、上を目指す、といった生き方をしてしまいがちで、
でも学生の頃のように、みんなが学年を上がるように上に平等に上がれるわけじゃないから、少しずつ差がついて、
人と比べて位が低いということを、落第かのように感じたり、
新人の頃は仲良くしていた同期が、上司となったり、
上に上がったのはいいけれど、それと引き換えに重圧を背負うことになったり、孤独になったり、
自分がどのあたりで心地よいと思うのか、どういった生き方をしたいと思っているのかをよくわからずに競争を続けると、
気が付いた時には、
「すごいと思われたい」「必要な人材と認められたい」「上に認められて出世したい」
「競争に勝ちたい」
となっていたりして、
たとえ暇だったとしても、
「暇だよねー」って言えなくなったりする。
暇です、って言ったら、仕事任されない人と思われそうで、
出世できない人と思われそうで、
窓際候補と思われそうで、
プライドがあれこれあれこれ邪魔して、忙しいです。って言ってしまう気持ちが、すごくわかる。
組織にいたころ、私はそんな人間に、少しなりかけていました。
でも、ある日、車の運転のできない母が、当時足を怪我していた父の代わりに知人の葬儀に参加したときのこと。
入口が複数あって、入ったときと同じところから出たと勘違いした母が、駅方面に向かおうとして間違った方向へ歩いていってしまい、道に迷ってしまったことがあったのです。
田舎でタクシーも通らないし、どこだかわからないし、意を決して近くのお宅の庭にいらっしゃった女性の方に、道に迷って・・駅はどこでしょうかと道を尋ねたところ、
その方がご親切にも家まで車で送ってくださったのです。
恐縮して、道を教えていただくだけで・・とか、じゃあすみませんがタクシーを呼んでもらえませんか?と言った母に、
「大丈夫、私、暇なんですよ^^」とおっしゃったそうです。
絶対そこまで暇じゃなかっただろうけど、気をつかわせないように、そう言ってくださったのだと思います。
相手に気を使わせないよう、少しご自分を落とした言い方をしてくださったその方の気遣いに、頭が下がりました。
暇になったら負け、とか思って競争していた自分は、
もしかしたらいろんなものを失っていたのかも・・と思いました。
まだまだ中身が大人になっていなかったと、当時自分を少し恥ずかしく思いました。
求められたがり、ではなく、必要にされた時に、さりげなく力を貸せる人に、
人に気を遣わせず、さりげなく人を助ける力のある人に、なりたいと思いました。
競争相手は、他人ではなく、昨日の自分、というのはほんとだな・・・と感じました。
母を助けてくださったその方に感謝するとともに、
自分の狭くなっていた視野が、すこし広がった気がしたのでした。
お読みいただきありがとうございました^^