人は、常に何かに追われ、自分のことでいっぱいな状況に置かれると、
驚くほど周りがみえなくなる生き物だと感じるときがあります。
もちろんそうでない人もいるのでしょうけれど、
社会に出て、少しずつ、純粋さや、まともさを失っていって、
生き残るのに必死な人たちを、たくさん、たくさん見てきました。
そして私自身も、いつしか自分のことしか見えなくなっていました。
「一生懸命頑張る」 日本人はこういう言葉が好きですね。
でも、人から見て「頑張っている」ように見せるのがうまい人もいますよね。
必死そうに見えなくても、影で、いっぱい努力して、いっぱい耐えて、何でもないようにふるまっている人も、きっとたくさんいるのだと思います。
自分なりに必死に頑張って、耐えて、ついていっていても、
苦労していないように、恵まれている人のように、運がいい人のように言われる続けることは、少しずつ、心をむしばんでいく、毒を浴びるのと似ています。
表面だけみて、人を判断することは、とても恐ろしいことだと私は思います。
その人を深く深く傷つけ、無力感にさいなませ、ときにその人を壊します。
人を理解することはとても難しいですが、人の痛みや、辛さや、喜びや悲しみを、想像し、言葉を選ぶ、もしくは言葉を発しないことはできるのではないでしょうか。
想像力、言葉を選ぶ力、いろいろな生き方に思いを巡らせること。
その痛みがなんの痛みなのか知ること。
言葉を知るには、読むことが大切なのではないかな・・と思ったりしています。
昔、先輩に言われて、涙がでるほどうれしかった言葉
「あなたは努力家なんだよね」
その職場を離れ、もう会うことはないかもしれないけれど、元気にしておられるかな・・と時々その人のことを思い出したりします。
お読みいただきありがとうございました^^