いつも思うのです。
不幸になりたい人なんていなくて、寂しい思いをしたい人なんていなくて、死ぬほど苦労したい人なんていなくて、いじめられたい人なんていなくて、心を病んだり、体を壊したりしたい人なんていないと。
なのに、世の中には、結構あふれてる。
みんな笑いたいはずなのに、笑えないひともたくさん。
人との比較でしか幸せを図れず、自分よりも不幸な人を探してほっとする。人に上から目線でものを言っていい気分になる。人間は、けっこう残酷な生き物だな・・と感じるときもあります。
心の中に、いい人間と、悪い人間が両方入っていて、おかれた環境や心の状態によって、善にも悪にもなる。
大学生の頃、哲学の授業を取っている友人がいて、「え、哲学って難しそう。面白いの?」的なことを聞いたら、
「哲学、面白いよ。人の本質を学ぶ学問」と言われたことを覚えています。
もう一度あの頃に戻れるなら、その講義を受けてみたいです。そして時間のあったあの時期に、もっともっと本を読んだでしょう。
自分の中の善と悪を知り、どういうときに悪いほうに気持ちが傾くのか知っておくべきでした。メンタルや体のコントロール、人間の本質について、もっと知っておくべきでした。
それを、大人になってからひしひしと感じます。
勉強をたくさんしていた気になっていたけれど、きっとそれは、社会で生きていく場所を確保するための、いわゆる進路的な勉強であって、大学時代には、それ以外のこともたくさん学べる時間があったのに、気づいていなかったのだな・・と振り返って思ったりします。
若い頃には、努力すればなんとかなる、頑張れば解決する、と思い、自分の人生は自分の頑張り次第でコントロールできるのだと思っていました。
けれど、人生には、頑張ってもどうにもならないことや、頑張り方を間違えると逆に物事が悪化するときもあること、しんどい時期には頑張らず、時に任せるといった選択肢があることを知りました。
本当に学ぶべきは、辛い状況のときに、自分の心をどうコントロールするか、俯瞰で人生を眺め、長い人生の一時そういうこともあるよね、といった視点を持てるようにし、今を生きること、そしてそれは、自分だけではなく、他人もそうやって苦しんだり楽しんだりを繰り返していることに気づくことではないかな・・と感じています。
「生きるために必死」
日本は先進国と言われていますが、いつまで必死なのでしょうか。
生活することのみに必死で、後のことは後回し。だと、いつ学ぶのでしょうか。
前半は勉強、大人になってからは労働、その隙間に、生きる、といった時間の使い方を、いつまで続けるのでしょう。
その人生の時間の使い方は、必要なのでしょうか。
その学び方は、ずっと同じでいいのでしょうか。
答えの出ない問題です。
大人になってからは、正解と不正解だけで構成されている問題だけでなく、答えの出ない問と戦わなければならないときがたくさんあります。
その時、自分にとって納得できる回答をしていくには、どう学ぶべきなのでしょうか?