ずっと前から、不思議に思っていたことがあるのです。
「エッセンシャルワーカー」という言葉は、いつできたのでしょうか?
コロナ禍のなかで、休んだりすると社会が回らず休めない職種についている人達のことをそう言い表すようになりました。
「エッセンシャルワーカーの人に感謝しよう」的な雰囲気になりましたが、
それならなぜ、給与を上げられないのでしょう。
社会インフラを支えているのに、コロナでも災害時でも休めない職種なのに、
給料は激安、非正規の方が多く、その業界=エリートといわれる業界ではない。
必要不可欠の仕事をしている人たちの給与よりも、この業界、なくなっても困らんよね、という業界に努めている人たちの給与のほうが圧倒的に多い。
そして、いわゆる「人手不足」と言われているのは、このエッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちのいる業界です。
「体力的にきつく、低賃金、しかも重労働ですが、人が足りないので来てください」
といって、喜んで応募する人がいるのでしょうか?
「募集しても人が来ない」
当たり前ではないでしょうか。
最近読んだ本に、こう書いてありました。
「やりがい」があり、社会的に意味のある仕事をしているのだから、やりがい+今以上の報酬を求めるのはぜいたくだ、といった妬みがある。
本当は自分の仕事はこの世になくても困らないと自覚のある人達は、高い給与をもらっていても、本当に必要だとされている「やりがい」のある仕事をしている人に対する嫉妬の感情をもっていると。
そもそも、なくてもいい仕事は、なぜなくならないのでしょうか。
今週は、そういったテーマで書かれている本を読みました。
「ブルシット・ジョブ」
クソどうでもいい仕事の理論
ディビッド・グレイバー
「ブルシット・ジョブ」の謎
クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか
酒井 隆史 講談社現代新書
こちらは、ディビッド・グレイバーの本の訳者の一人が、よりかみ砕いて同じ内容を書いたものです。
他にもいろいろな理由があるのだと思いますが、社会に対するもやもやの一つに対する回答の一部が見えた気がしました。
また次回からも、本をご紹介していきたいと思います。
お読みいただきありがとうございました^^