ずっとずっと、思っていたことがあるのです。
なぜ、仕事の割り振りとか、評価とか、給与とか、いろんな取り決めが、
なんかふわっとしてるんだろうと。
今、私が20代とかの、若者だったころとはきっと変わっていて、
良くなっているのだと信じたいのだけど。
まっさらな新人を育てる文化な国だから、年功序列的なところと、
能力給とか、資格給とかいろいろ少し上乗せ的なものが合わさって、
今の給与価格になっていると思うのだけど、
つまりあなたは何をするために雇われているのか、みたいなところがあいまいで、
つまりどうしたら評価されるのか、とか、
つまりどうするのが会社にとっていいのか、とか、昇給につながるのか、みたいなところが、物凄くあいまいで。
評価も、ついている上司の受け取り方で左右される部分はあるし、
嫌われず、常識的に頑張る努力をしたとしても、
すべては上司次第。
なんならその上司の力関係とか、部署の力関係とかが、より重要になり、
そのとき所属している部署によって、評価が違うことは常である。
つまりは運の要素もたくさんあるということ。
出世、とか評価、とか、そういったものとは、距離を置いている若者も増えているようだけど、
でも、頑張って結果を出したとしたら、認められたいし、
会社がどこを目指しているのか、何を求められているのか、そういったものがあいまいなまま、とにかく売り上げを、とか、下を育てるように言われたり、そういうのは結構働く側にとってきついことだな・・・と
そう感じていた頃があります。
俯瞰で見たら、まったく意味のないことに思えることでも、
組織内で見たらとても重要なことで、
たとえそれが、世界環境にとって、地球にとって良くないことだったとしても、
そんなのは小さなことで、小さな会社の中の小さな価値観がとても大きくて、
そういったことに矛盾を感じ始めると、
頑張ることの意味が分からなくなったり。
必要だから、というよりも、どこかに所属して、そこからお金をもらう就社が目的で、就社が目的なら、全体像が見えなくても、社内でそこそこやってたら、
お金がもらえる。意味なんて考えなくても。
きっと、存在しなくてもいい会社は沢山ある。
でも、もし私がその会社の経営者だったら、その組織をつぶさず営業し続けること、そうして自分と社員の糧を得ることが使命。小さいことは犠牲にしても。
そう思って日々奮闘すると思う。
会社は、存続し続けることが使命。
たとえ、世界に必要なくても。仕事をすればするほど、環境破壊につながるとしても、
無理やり仕事をつくって、縁故で仕事をとってきて、意味なんてないと思ったとしても、存続するためには走り続けるしか、売り続けるしかない。
「就社」が目的だと、そこで生き残ることが目標になるから、
きっといろんな矛盾に気付いていても、進み続けるしかない。
でもそれは、結構きついこと。
なぜなら、人には考える頭があるから。
社会的に本当に意味のある仕事についている人達は、
そういった矛盾はない代わりに、
きっと別の苦しさがある。
大多数の、そうじゃない仕事についている人達を支えて、報われない待遇という苦しさ。
分かりやすく、納得できて、必要性が感じられて、少しでも皆の日々がよくなる。
そういったことに労力を使えたら、
それで生きる糧が得られるなら、
きっと笑顔がもっと増えるでしょう。
そんな風に、時々思ったりします。
やっと涼しくなりました。
沢山本が読める季節になり、嬉しく思います^^
お読みいただきありがとうございました^^