白うさぎの読書ブログ

読書好きが個人的に面白いと思った本や学び、社会への疑問などについてのんびりと書いている雑記帳です

言葉のちから

今も悩んだりするときはたくさんあるけれど、

これからもまだまだ人生長いような気がするけれど、

 

今までの人生のなかでは、私が一番苦しかったのは、おそらく20代後半から30代半ばにかけてくらいの時でした。

これからもきっと、いろんなことに悩んで、振り回されると思うけど、

あの時見たく、その感情や思いや、心身ともに感じる疲れを、コントロールできなくはならない気がしています。

 

なぜならば、自分のマイナスな感情に対する対処方法を、今は知っているからです。

そして、人生はいいことばかりじゃないけど、悪いばかりでもないと知ったからです。

 

以前、頭がいっぱいいっぱいになって、わー・・・ってなりがちなときに、私は、その思いというか気持ちを、素直に出すことができませんでした。

うまく言語化できないし、本当に悩んでいることすら、それを口にすることは、負けだと、中途半端なプライドが邪魔して、人に相談する時すら、少しかっこつけていたりして、自分で自分のことを追い詰めていました。

 

それまでも本好きでいっぱい読んでいた気になっていたけど、そのあたりから、

人生というか、心に響く言葉を求めて本を読み始めました。

 

体にとって、食べ物が栄養になるように、心にとって、言葉は栄養になる。

そんな風に実感しました。

そして、自分が悩んできたこと、辛いと思ってきたことが何なのかを理解することができました。

 

いらないプライドが、いろんなものを邪魔していた。

素直に感情や思いをつづれる人に、あこがれていたけれど、

そうできない自分を認めたくなくて、かっこつけて、少し見下してた。

そんな気がします。

そして、

そのプライドは、劣等感や自己肯定感の低さからきていると。

 

自分を認められない人が、人を認められるわけがない。

自分を大切にできない人が、人を大切にすることを理解できるわけがない。

自分を粗末に扱う人が、人を大切に扱えるわけがない。

 

つまりはすべて、自分の中に原因があって、それが、いろんなことに反映されて苦しくなっていたということ。

 

そういうことに向き合う時間さえもなかったから、向き合い方も分かっていませんでした。

忙しいという漢字が、心を亡くすと書くと決めた人は、本当にすごいなと思ったりします。

 

もし、かつての私のように、いろんなことが頭を渦巻いて、

しんどくなっている人がいたら、ぜひ本を沢山読んでほしいと、そう思っています。

 

人に指摘されたらむかつくことでも、本の中でそっと、人ごとのように書かれていたら、きっと、ものすごく心に響くでしょう。

 

さまざまな知識を得ることで、その中から選択することができる。

知らなければ、何もできない。どうしたらいいのかもわからない。

そしてそれは、きっと、学校では教えてもらえない。

 

そういった知識や、感情に名前が付き、理解できる。

たとえそれが、遠い遠い物語でも、自分のそばの出来事のように。

 

ただの物語さえ、身近な例題として、心に響くことがあります。

きつい一言でも、それが誰に向けて書かれているのかわからくても、

自分の言って欲しかった言葉や、求めていた答えが、そこに見つかったとき、

きっとその言葉に救われると思うのです。

 

 

空が高くなりました。

秋の空のように、澄み渡った気持ちで日々過ごせますように。

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

最近の読書 読書の秋

今年の夏は暑すぎて、あまり本が読めませんでした。

いい季節になり、とても嬉しく思います^^

 

最近は、新刊なども手に取ったけど、昔からある本や、コミックなども読んだりしました。

読みなおした漫画でやっぱり面白いな、と思ったのは、

「リアル」井上雄彦

アオアシ小林有吾

テレプシコーラ山岸涼子

 

よく見たら3つともスポーツ系でした。

リアルは車いすバスケット、アオアシはサッカー、テレプシコーラはバレエです。

いろんなルールがよくわかるのと、中に入ると、外から見るのとは違う思いや現実があることを感じ、漫画なんだけど、なんか勉強になったようで、でもとにかく読むのが止められない系なので時々読みたくなります^^

 

文庫や新書、雑誌などで最近読んだのは、

「年収443万」小林美希

「日本企業はなぜ「強味」を捨てるのか」岩尾俊兵

イスラエル」ダニエル・ソカッチ

「変えること変わらないこと」内田綾乃

「商い世傳金と銀」髙田郁 

 

目の前にある小さな幸せに感謝し、日々楽しみながら、

問題意識も持ちつつ暮らしたいです。

他にも読んでみたい本をいくつか見つけたので、少しずつ読み進めたいと思っています。

 

読んでみたい本を見つけたときの、あのワクワク感、本がお好きな方ならわかっていただけるはず^^

小さな幸せですが、生きていくうえで、私にとってとても大切な時間です。

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

 

大人、多くない?

20代の頃、しかも前半。

当時の職場の近くにスターバックスがあった。

仕事は朝早く、夜遅く。なので朝か夜帰るときかどちらかに、よくスタバに寄って、ちょっとしたドリンクとスコーンなどを食べていた。

 

今住んでいる街には、スタバは少ない。

十年前くらいだと、県内にあることすら思い出せないレベル。

だけど、ここ数年で生活圏内に2件ほどできて、行こうと思えば行ける。

 

・・・が、私が結構な大人になってしまい、○○フラペチーノとかに500円とか700円とかを出すことがなんだかな・・という感じになってしまった。

自分でコーヒーも入れられるし生クリームだってスーパーで買って、なんか似たようなものなら700円くらいあったら5人分くらい作れるんじゃ・・・みたいな思考回路に・・

 

年を重ねるって世知辛いななんだか所帯じみているな・・・とも思うけれど、少ない予算でいろいろ回せる生活力と知識を得た今のほうが生きやすいとも思う。

 

きっと私は当時、「スタバにいる自分」を買っていたのだ。

あの空間に身を置き、仕事やいろんなことを忘れ、または思考を整理して、

これから一日、またはまた明日から頑張るために、リセット空間としてスタバにお金を落としていたのだと思う。

 

少し前に、近くに行く用事があり、久々にカフェモカでも飲もうかな・・・みたいに深く考えずにスタバに寄ってみた。

 

レジには長蛇の列。すごく込み合っていた。

タイミングが悪かったな・・・と思って、今日は辞めとこうかな・・と思いつつ、列に並ぶ。一応メニューを見て、注文するものを確認する。

 

そんなとき、後ろに並んでいた女子高生の一言

「今日、大人、多くない?なんで?」

 

笑いそうになった。その地域の、彼女たちにとってスタバは若者限定のものなのだ。

その空間におじさんおばさんがいることは、違和感なのだと。あららごめんよ~^^;

 

私が若者だったころ、そんな風に思ったことあったっけ?

覚えていないけど、自分たちのことでいっぱいいっぱいで周りはあまり見ていなかったような気もする。

 

でもスタバでドリンクとなにか甘いものとかで1000円くらい払ってでも行きたい、とは思わなくなった自分もいて、確かに若者のための場所かもな、とも思った。

 

結局久々にカフェモカを飲み、非日常を味わって帰ったけれど、

この味とか生クリームの感じとか覚えておいて、似たやつ作ってみよう、といった創作意欲がわいた。

スコーンは似たやつを家で作ろう、と思った。

しみついた主婦感覚が恨めしい^^;

でも、そういう自分の方がしっくりくると感じる自分もいて、なんだか複雑だった。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

 

 

こぼれだしたら

今週のお題「こぼしたもの」

 

こぼれる、と聞くと、コーヒーこぼした、とか水こぼした、とか

液体を想像するけど、私がこぼしたのは感情。

これは20代前半と呼べる頃の私の、遠い遠い記憶のお話。

 

あの頃の私は、言いようのない不安と、頑張らなくてはという気持ちがぐちゃぐちゃに混ざって、でも弱音を吐ける場所もあまりなく、強がって生きていた。

 

下を向いて、そのまま蹲りそうな時でも、つんと顔を前に向けて、

颯爽と歩いている、というふりをしていた。

 

まだ、若かったから、気合でいろんなことがどうにかなった。

 

でも、いったん気を抜くと、なんだかアメーバのように溶けて戻れなくなりそうで、頑張ってる私、いろんな活動をしている私、というものに鼓舞されながら、

毎日張りつめて自分を前に進めていた。

 

でも今思うと、進めてはいなかったのかも、とも思う。

 

そんなときの失恋。

 

これが、こんなにも辛いものだとは知らなかった。

世の中で、たった独りぼっちだと、自分を必要としてくれる人はもう誰もいないんじゃないかと感じて、自分の影まで薄くなったように思えた。

 

会社では、笑っていた。弱みを見せたくなくて、また見せられる人も少なくて。

 

 

そんな日々を送っていたある日、仕事関係の野暮用で、土曜日に外出し、夕方家路につくときに、コンビニに寄った。

少し薄暗くなりつつある、けれども綺麗な夕焼けが見える頃だった。

 

辛い時に、明るい店舗に入ると、少し元気をもらえる。

だから、何気なく寄った。

 

そこで、親子とすれ違った。お父さんと、娘。

 

その瞬間、強がって見ないようにしていた自分の本当の気持ちが、大量に降ってきて、

抑えられなくなった。

 

小さなころに、夕日がきれいな日には河川敷に連れて行ってくれた父。

家族でご飯を食べている風景。

安心して、笑っていたあの頃。

私が、求めているもの。

今、感じていること。

 

こういったものが、胸にあふれてきて、強がれなくなってしまった。

 

失恋したそのときは呆然として、涙も出なかったし、

私は強いと、きっと大丈夫だと強がって、無理やり前を向こうとしていたけれど、

全然前に進めていなかったことに気付いた。

この悲しみを、寂しさを、きちんと受け止めて泣かなければ、前に進めないのだと。

 

 

次の休みには実家に帰ろう。

近くにいてくれる人を大切にしよう。

自分のほんとの気持ちに、嘘をつかないようにしよう。

 

そして、今日は思いっきり泣こう。

 

そんな風に思った。

 

あれからずいぶん時が流れたけど、

私はあの時とは全く違う場所で、違う生き方をしているけれど、

休みの日の、きれいな夕日を見ると、あの時の感情を思い出す。

 

今は一人じゃない。

けれど、だからこそ、あの時こぼれだした感情の記憶を、寂しさを、

忘れないようにしようと思っている。

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

 

節約とは

物価が上昇

引かれるものが多くて手取りは上がらない

老後うん千万問題

2025問題

ウクライナの戦争が終わるどころか新たにガザ問題が勃発

なんだかいいニュースがなくて、不安になるけど、

 

そもそも、人は無駄なものにお金を使いすぎなのではないのか?と

感じたりする。

戦争なんて、その最たるもの。

いらない既得権益にからむお金もそう。

怪しい政治献金も、企業間談合的な中で流れるお金も、

パチンコや賭け事的なやつにかけるお金も

本当に必要なものなのか。

というか、そういうことをせざるを得ない世の中を、もっと健全にすれば、

お金は余ったりするのでは?

・・・といろんな方が思っておられるでしょう。

 

一人の人間に世界は変えられないので、自分の生活をふと顧みて、

もっと無駄が減らせると気づきました。

そして、節約していたつもりで、買わなきゃと思っていたものが、実はいらなかったのではないか、と気づいたりしました。

 

節約ばかりで、杓子定規な人生だけだとつまらない、と思っていたけれど、

日々のなかで、不便を楽しむときほど楽しく、想像力も沸き、

楽しくお金を使う時が、もっともっと特別なものに感じられることに気付きました。

 

と同時に、今まで資本主義経済の中、もっと売らなくては、もっと上を目指さなければ、評価されなくては、と思って頑張っていたことは、いったい何だったのだろう、と考えることがあります。

 

 

いらないものや、しなくていいことを、無理やり必要なものだと、やらなくてはならないものだと作り変え、推進することの苦しさで、

疲弊している人は、多いように感じます。

 

ほんとは半分以下の人材でまわるけど、

ほんとは作らなくても世界は困らないけど

ほんとはこの業界はもういらない気がするけど、

でも続けなきゃ。

 

社会で大量の資源や、人材の無駄使いをして、

家庭で節約して生きている。

 

個人単位なら、やらないことを、

組織単位ではやるべきことという。

 

人間社会は、本当に不思議な構造をしている。

 

そんな風に、感じる時があります。

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

若い人からも、先輩からも

最近、ブログや、インスタグラム、動画などをUPされている方の、本がよく出版されています。

いろいろな年代の方の、生き方や考え方、過ごし方を知り、参考にするのが好きなので、時々手に取って読んでいます。

 

動画などを見るのも好きなのですが、スマホやPCをずっと見ていると、どうしても目が疲れすぎてしまうのと、

適度にネットから距離を取りたいときがあって、興味のある方の本が出たら、できたら紙の本で読みたいタイプです。

 

最近は、若い方の生き方や、自分よりも少し上の方の生き方を参考にしたくて、

よく拝見しています^^

 

 

若者の、今の時代に合わせた賢い生き方に、目から鱗が落ちるとともに、

人生の先輩方の、いいことも悪いことも糧にされて前に進む力強さに、元気をいただいたりしています。

 

世代、性別問わず、好きだな、と思う生き方があって、

もし、近くにいたとしても、きっと接点もなくすれ違う赤の他人として生きているだろう全く別世代の方々に、いろいろ学べる今の世の中が好きです。

今の時代は、つながり過ぎていて、情報過多で、苦しいときもあるけれど、

全く情報のない中、手探りと経験で進まざるを得なかった時代と比べたら、

圧倒的に学びやすい。子供の頃に、この知識が調べられていたら・・・と思うこともたくさん。情報は選ばないといけないけれど。

 

いろんな世代の方から学び、柔軟に生きたい。

きっと、楽しい。

 

 

生きていく上で、知識がないと、決断もできないから、

どう生きるか悩んだ時、自分が好きな方へ行きたいから、

どう生きたいか、判断できる自分でいたいから、学びたい。

 

若い人からも、先輩からも。もちろん年の近い方からも。

 

 

お読みいただきありがとうございました^^

 

 

一秒でも命だから

年を重ねて大人になって、

最近、時間の大切さをひしひしと感じます。

 

ずっとずっと若い頃は、小さなことにも悩んで、考えてもどうしようもないことを沢山考えて、立ち止まって、蹲って。

そんな時間がたくさんありました。

 

でも、立ち止まっても、考え込んでも、前へ進んでも、

時間は止まることなく流れ、命の残りカウントは、着々と減っていく。

つまりおばさんになっていく・・・あわわわ・・( ̄ロ ̄lll)

 

だったら、目の前の1分1秒を、その時に集中して、

地味だったとしても、最高にキラキラしたものにしたらいい。

すべてのことに意味があって、たとえばただの掃除だったとしても、

家族が綺麗で清潔な場所で過ごせるための、素敵な仕事に思える。

最近は、そういう思考回路に持って行こうとしている自分がいます。

 

遠い未来のことは、考えてもどうにもならないから、

一応の対策(貯金とか?(笑))をコツコツとしながら、目の前に集中して生きる。

 

今日一日を、どう生き切るか、そういったことを考えるほうが

楽しく生きられるな・・と思ったりしています。

 

 

過去にあったこと、後悔、辛かった思い出、楽しかったあの頃

この先どう生きるか、ちゃんと生きていけるのか。

 

こういうことが、ぐるぐる頭に渦巻いて、闇落ちしそうになるときが、

ふとしたきっかけで訪れたりして、

そういうとき、どうしたらいいかわからなくて、

以前、義母に、悩んで不安で眠れないときがあるんです。って相談したら、

 

「誰にでもありますよ」って言われました。

何当たり前のこと言ってるの?みたいな感じで。

 

すごく強くて、キラキラした女性に見えていた。

そんな義母に、「あたりまえじゃん。人間だもの」的な返しをされて、

憑き物が落ちたように楽になりました。

 

そうだよね、人間だもの みつを(みつを先生すみません)

 

きっと、誰にでもあるこの不安な気持ちを、乗り切るために知恵をつけるのが大人。

経験や、知識、そして知恵。

そういうときの処方箋は人それぞれ違うだろうけれど、

そういうものを持っておくといいのかも。

 

蹲っても、悩んでも、泣いてても、時はずっと流れて、止まることはない。

でもその時間が解決してくれることもある。

蹲ることも、泣くことも、立ち止まっている時も、それはそれで、

自分にとって必要な、大切な時間だったと思いたい。

 

1分1秒だって、自分の命の時間には変わりなく、

キラキラしてても、うずくまっていても、変わらず過ぎていくけれど、

どんな時も自分にとって必要な時間だったと、

そう思えるために、自分と向き合いつつ生きていきたい。

そんなふうに、思っています。

 

 

読書の秋ですが食欲の秋でもあり、気をつけねば^^;

 

 

お読みいただきありがとうございました^^