「子供はわかってないから」
そういった発言をする人に、今まで何人か会いました。
先輩だったので「そうですか~」と流しましたが、
「子供は大人よりもずっとずっと鋭いよ」と心では思っていました。
大人になると、いろんなことが日々あって、だんだん見えなくなっていくものが、子供たちには見えていて、時々恐ろしいほど本質をついた発言をすることがあります。
大人の嘘は、すぐに見抜かれます。
何か子供に注意したり、叱ったりするときも、それがその子のために言っていることなのか、自分の保身のために言っていることなのか、見抜きます。
周りの大人が、人によって言動を変えたり、陰で悪口を言ったりしていると、子供からの信頼を一瞬で失います。
自分の思い通りにしようとしているのか、その子にあったやり方でよくしてくれようとしているのか、見抜きます。
そして、大人が忘れてしまっても、ずっとずっと覚えています。
大人の弱さを許さない、という意味ではなく、弱くても本人なりに頑張っている姿にはちゃんと答えてくれます。
嘘や、ごまかし、保身、うわべだけのきれいごと、裏表、こういったことに、純粋に嫌悪感を持っているのではないかと思っています。
大人になったら、きれいごとだけでは生きていけない、そう思いますか?
社会でもまれて、いつしか私も、少しずつそう思うようになっていた時がありました。
でも、振り返って、きれいごとを自分の意思で突き通していた方々を、自分に恥じない生き方をされていた方々を、離れた今でも尊敬していることに気づきました。
きれいごとでは生きていけないから、と言っているのは、もしかすると、大人の甘えなのかもしれないと思いました。
やはりああなりたくない、と思われる大人になるべきではなく、その背を追ってもらえる人間になりたいと思いました。
でも、それには勉強と、強い心を維持する力と、周りに動じず、周りを傷つけずに、人としてやるべきでないことをやらないという自分の意思を通すスキルを身につけないといけないな・・と感じました。
大人は、子供よりも勉強しないといけないのだと私は思っています。
勉強は子供だけがするものではなく、大人には大人の勉強があるのだと思います。
学校に行くでもなく、ふるまい方や生き方を誰かに自動的に教えてもらえるわけでもなく、先生もおらず、ロールモデルもあまりなく、どう学ぶか。
大人は、何に学ぶか、どう成長していくか、なども含めて、
考え、学んでいく必要があるのではないかな・・と思っています。
この国の閉塞感は、大人の不勉強が、原因の一つになっているような、そんな気がしています。
大人も子供も、常に学びあい、高めあえるような、成熟度の高い国になっていけばいいな、と思います。
お読みいただきありがとうございました^^