白うさぎの読書ブログ

読書好きが個人的に面白いと思った本や学び、社会への疑問などについてのんびりと書いている雑記帳です

言葉の約束

私が人を見るときに、いつも意識していることがあります。

 

それは、「口にしたことを守ってくれるかどうか」ということ。

 

すごくすごく些細な、適当に返事をしちゃった、というレベルのことでも、

自分が言葉にしたことを守ってくれる人が好きです。

 

これは、子供の頃の記憶が、とても影響している気がしているのですが、

子供って、結構敏感で、小学校1,2年生でも、大人の考えていることが読めたり、空気よんだりしてると感じていて・・というか自分がそうだったので。

 

「子供はどうせわかってないから」とか

「適当に相手しとけばいいかな今忙しいし・・」とか

そういう接し方されるとすぐ気付いたし、幼くても、真剣に接してくれる人には、心を開きやすかったように思います。

 

両親は、一生懸命働いて私を育ててくれましたが、

忙しいがゆえに、学校であったことを伝えたくて、また、相談をしたくて母に話しかけていたとき、

母はよく、「あとでね」と言って仕事や家事などを優先していました。

 

でもその「あとで」の「あと」がくることはなく、話を聞いてもらえることはありませんでした。

「あとでね」というとわかった、とおとなしくなるので、便利だからそう言っていたのか、子供の言っていることだからたいしたことないわ、と思っていたのか。

 

今振り返ると当時は本当に母は忙しく、余裕がなかったのだとわかるのですが、

私は「あとでね」という言葉が、大嫌いになりました。自分は絶対に使うまいと決めました。

 

夫と結婚し、義理の両親と話していると、とても気が楽で、この安定感はなんだろう・・心が楽だ・・と思え、どうしてかな・・と考えると、

 

義母と義父は発した言葉をとても大切にしていて、今度持って行ってあげるね、とか、時間があったら調べておくね、とか一見社交辞令にも思えることでも、

実際に持ってきてくれたり、調べた資料を送ってきてくれたりしてくれて、

他の人から見たら、そんなことで?と思えることでも、涙が出るほど嬉しくて、

 

私は、こういう信頼関係のなかで生きたかったんだろうな、と気づきました。

育ちがいいって、きっとこういうことなのかな・・・とも。

 

口にしたことを信用できる人と一緒にいると、私はとても安心できます。

言っていることが社交辞令やその場限りのことが多いから適当に聞いておかなければ、という人といると、いつも満たされず、疲れてしまい、軽く見られているように感じ、自尊心がどんどん減っていってしまう気がしていました。

 

職場でも、新人だから、後輩だから、女だから、おばさんだから、おじさんだから、と人によって態度を変え、適当にあしらっておけばいいよね、といった行動をとる人はいましたが、そういった言葉や態度は、絶対に相手に伝わっていると私は思います。

 

小さなことでも、口にしたことに責任を持っている人が、私は好きだし、

そうありたいと思っています。

 

 

お読みいただきありがとうございました^^