子供の頃、大人って、もっともっとすごいと思っていませんでしたか?
もっともっと大きな存在で、助けてくれて、守ってくれるんだと、
小学生くらいの頃は思っていました。
でも、子供にも大変なことがたくさんあるように、
子供がたくさんの選択肢を選び、努力していかなくてはならないように、
大人も、日々大変なこともあり、日々選択を迫られていますよね^^;
年を重ねたら、大人になれると思っていたけれど、
いつ心が大人になるのかは人それぞれで、体が大人になってもそんなに急に強くなれるわけじゃない。
強く、優しくありたいと、頑張りたいと思っているけど、
時に心がぐちゃぐちゃになり、逃げたくなったり。いろいろ。
でも、私は、かっこつけるのではなく、かっこ悪い姿も、悩む姿も、見せていいんじゃないかな・・と最近思うようになりました。
平気なふりしたり、強いふりしたり、平静を装ったり、
ずっとそうしていると、辛いから、
弱い自分も、でも強くありたい自分も、みじめな自分も、そうやってもがいている姿も、見せていいんじゃないかな・・と思っています。
本当は、いつも明るく、優しく、強い人になって、大切な人や家族を守って、笑顔でいたいけど、無理なときもある。
もちろん仕事に私情を挟まない、とか、人に当たらないとか、最低限の礼儀は守るけれど、「辛いんだ」とか「きついわー」とか、言ってもいいんじゃないかな・・と感じています。
だって辛いときは辛いですよね。大人も子供も。
大人になって、分別がついて、世間を知って、
子供から「どうして?」と聞かれても、答えたくないような現実も知って、
でも大人だから楽しめることもあったりして、結構楽しい時もあるけど、
「きついんだよね・・」という時もある。
きっといい時ばかりは続かず、悪い時も、きつい時もたくさんたくさんあって。
だけどそれに折り合いをつけながら、「でも、自分は強くなりたいんだよね、弱いけど」でもいいんじゃないかな・・と思っています。
自分が弱いとわかっている人は、きっと辛い経験や、寂しかったり悲しかったりをたくさん経験していて、人の痛みに敏感な人だと思います。
自分無双ー!みたいな時期って、きっと誰にでもあって、でもそれは長くは続かないし、しんどい時期があっても、逆に時々いいターンが回ってくる時もある。
若い頃は、うまく弱音がはけなくて、というか弱い自分はダメだから我慢してかくして、うまくやるのが大人、みたいに強がっていたような^^;
「自分は全然平気。いつも充実してる。」本当はそうじゃなくても、そう強がっているときは、必要以上にとげとげしくなっていて、もしかすると、弱音を吐いてるときよりも、かっこ悪い自分になっていたかも・・・(;´・ω・)
強くなくても、みんなそんな強くないんだから、できるときは助け合っていこうね
そう言って、暮らせたらいいのになぁ
そういう人間関係に囲まれた人は、とても幸せなんじゃないかな・・と今は思います。
大人でも、いつも強いわけじゃない。
ちょっとばかり、普段通りに見せるスキルだったり、分別だったり、経験上そういう気持ちの対処方法を知っているだけかも。
お読みいただきありがとうございました^^