白うさぎの読書ブログ

読書好きが個人的に面白いと思った本や学び、社会への疑問などについてのんびりと書いている雑記帳です

他人は鏡

私たちは、子供の頃は学校が、

大人になってからは職場が居場所のようで、

1つの価値観で、同調圧力の中うまくやり、そのなかでポジションを確保して、

そこでうまくやれないと、生きることも辛くなったり

そこからはじき出されたら、生きる場所がなくなったような気持ちになったり、

まるでこの世にそこしか生きる場所がないかのような生き方をずっとしていて。

 

でも学校から卒業したり、定年などで仕事場という居場所を失ったら、

次はどこにいくのでしょうか。

 

どこかに属していないと生きにくいなら、

どこにも属さない状態に、強制的におかれたら、どうなってしまうのでしょうか。

 

いくつもの価値観を持ち、いくつもの居場所を持ち、できることがいろいろあったり、役にたてる場所がたくさんあったり、

本当は、そうありたいと思っている人、多いのではないのかな・・と

個人的には考えています。

 

誰かに必要とされている、とか、

そこにいてもいい場所がある、といったことは、生きる上での安心感につながり、

だからみんな、受け入れられる居場所を得るため、勉強したり、仕事をさがしたり、家族を作ろうとしたり。

 

 

人に認められたい、居場所がほしい、頑張りを見てほしい、と、もし思うのなら、

みんなきっとそうなのだから、まず自分が人を認めてあげたらいいのかも。

でも、きっとそれがとても難しい。なぜなら、人を認めることは、負けを認めているように感じたり、自分の居場所を奪われるような気がするから。

 

だけど、振り返って思うのは、1つしかないポジションを争うより、人の努力を認め、居場所を作ってあげるほうが、きっと相手の心に残り、巡り巡って、自分の居場所ができることになったりするかも・・ということ。

 

 

自分が自分が、と前に出ようとしていた頃は、思うようにことは進まず、むしろ嫌われたり、競争しようとするほど、周りも負けまいと競ってきたり。

 

最近読んだ本の一つに、「他人は鏡」と書いてあって、

自分を振り返ってみて、あぁ、納得、と思いました。

 

マウンティングすればするほど、マウントされる。

負けまいとするほど、相手も勝ちにくる。

相手を見下せば見下すほど、見下される。

好かれようとすればするほど、それが顔に出ていて嫌われたりする。

 

自分が相手にしていることが、そのまま返ってきているだけ。

その瞬間に返ってきていなくても、いつか必ず返ってくる。

そういうものなのだなと、今は私は感じています。

 

きっと自分はこれだ、という自信や、ここで生きる、という覚悟のようなものができるまでは、不安定で、不安で、人を認めることはすごくハードルが高いような気もします。

 

結局は、ライバルは昨日の自分、といった、自分を高めていく、自分の成長にフォーカスしていく生き方が、一番成長できるような気もしています。

 

人をうらやみ、人に評価されたくて、頑張り方を間違えていた頃の私は、きっと人から見て、とてもかっこ悪く見えたでしょう。

 

かっこつけてた自分は、周りにたくさん弱さを晒していて、

強がっていた時の自分は、今よりもずっと弱く、きっと周りもそれに気づいていたことでしょう。

 

かっこ悪かったな、という自分を認めたとき、人の弱さや、脆さを許せるようになりました。

争うよりも、助け合ったほうがきっといい。

落としあうよりも、認め合ったほうがすごくいい。

 

そう思う私は、理想論を述べているのでしょうか。

 

けれど、自分が求めているものを知ったうえで、そのうえで力がいるから上にいきたいという人と、とにかく人よりも先に上に立ちたいという人とは、そもそもの底力が違う気がします。

 

人と比べて生きる人生は、結構しんどい。

 

自分を極めた人同士が、助け合い、協力して、社会や仕事を作っていける世界なら、

そこに入るために泥くさい努力をするのも、生き方としてかっこいいな、と

思ったりしています。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました^^