「転ばぬ先の杖」ということわざをご存知でしょうか。
転ばないように、先に備えておく、的な意味のことわざですね。
けれど実際の人生は、転んだ後に学んだりすることのほうが多いように感じます。
転んで痛みを感じ、二度と転ばぬよう学ぶ。
そうやって、人生は進んでいくような気もしています。
むしろ、「転ばぬ先の杖」とは、
同じ過ちを繰り返さないように、自分の無知を自覚し備える、といった意味にも感じます。
転んだことがないと、どう備えればいいかわからないからです。
「無知の知」という言葉も、それに近いかもしれません。
自分にはまだまだ知らないことがある、と自覚することで、学ぼうとする。
力が足りないことを自覚することで、なんとか追いつくために備える。
そして、人に教えを乞うことができる。
学ぶには、無知を自覚し、学びたいという意欲が必要なように思います。
自分で学びたいと思わなければ、どんなにいい教えでも、きっと心を素通りしていって、いつしか忘れてしまうのではないでしょうか。
何を学びたいか、を知るには、まず自分に何が足りてないのか、何を知らないのか、何が必要なのかを、学ぶ側が知る必要があると、私は思っています。
足りないものが、充たされていく学びは、
宝箱を見つけてそれを開けるときのようなワクワク感があり、
知らない世界の扉が開くような気持ちになり、
大切な人を守る強さを得られたような、とても楽しく有意義なものです。
読書は、とても手軽に始められる学びの一つだと私は思います。
もし今、何を求めているのか、何が必要なのかうまく言語化できなくても、たくさん本を読み、たくさんの文字に触れるうちに、いつしかそれが言葉となって、表現できると思うのです。
数学のような、一見言葉とは関係ない学問に思えても、その問題がどのような回答を求めているのか、読み解く力がなければ応用問題は解けません。
膨大な時間と労力をかけて出版されている本は、その著者の生き方、考え方、仕事の仕方、心の中などが詰まっていたり、膨大な下調べの上で書かれていたり、物語などでも登場人物の心の機微を想像したり、感情を揺さぶられたりして、
想像以上に広い世界につながっていたりするように思います。
学ぶことはとても楽しい。
けれど、学びたいと思うきっかけは、もしかすると辛いことや悲しいこと、自分の無力さを知ることかもしれません。
お読みいただきありがとうございました^^