若い若い頃、「正しいこと」をすることが一番尊いのだと信じていました。
だから、「こうあるべき」とされていることを必死でやっていました。真面目に。
自分が必死にやっていたから、それができない人はだめな奴だと、どこかで思っていたかもしれません。自分が限界だったから、そこから逃げる人のことを弱いやつだと思っていたかもしれません。すべては自分を正当化するために、心の中で他人を裁くようなことをしていました。
でも今は、ここでは「こうするべき」なんだろうけれどどうしても無理とか
ここではこれが「正解」なんだろうけれど、どうしても正解と思えない
といったもやもやが、よくわかります。
そこから離れたから。
その場所でのみ正解だという価値観が、世の中にはけっこうあったりして、
それはその場にいると、変えることはかなり難しく、場合によってはそのことに気づくことすらない。
「それはおかしい」と思っている自分が、不適合者なのだと、自分自身を追い詰めたりすることすらあるかもしれません。
だから、日本の企業は、新卒で何物にも染まっていない若者を求め、教育し、
その組織の価値観に、染めたがるのでしょうか?
何がを間違えた人や、失敗した人や、弱っている人、そしてその場の価値観に合わない人に、
「あなたは間違っている」
「あなたのこういうところが悪い」
「あなたがこうしたからそうなった」
「あなたはこうするべき」
全部正論です。きっと正しい。その人なりの正論です。
でも、時によって、その正しさは凶器になり、人を追い詰めたりします。
嘘をつくのは悪いことだけど、「やさしい嘘」はある程度必要なんじゃないかな・・と個人的には感じています。
正解は、人の数だけあるのに、「その人」にとっての正解は、1つだったりする。
押しつけあうと、きっとその関係は終わる。
「自分を傷つける人は許せないけれど、自分が人を傷つけることには無頓着」
だいたいは、こういったことで関係が崩れたりするのではないでしょうか。
人の気持ちを考えるのは、とても難しいけれど、
痛みや、状況を思いやり、言葉を選ぶか、黙る。
そういうのを、やさしさっていうのかも、と思ったりします。
正しいことが、必ずしも正解とは限らない。
法を犯したり、人に迷惑をかけるのは論外だとしても、
「正論」や「正しさ」が、人を救うことはあるのでしょうか。
人と人の関係は、本当に難しいですね。
そんな中、仲良くできる友達、家族になった人、そばにいてくれる人がいるのは、もしかするとちょっとした奇跡なのかも。
大切にすべきことを、大切にして生きていきたいな・・と思っています。
お読みいただきありがとうございました^^