白うさぎの読書ブログ

読書好きが個人的に面白いと思った本や学び、社会への疑問などについてのんびりと書いている雑記帳です

本で言葉を鍛え心を言語化する 

 

私は、子供の頃から、人に自分の個人的な気持ちや考えを面と向かって言うのが苦手でした。

 

学校の授業や仕事など、公の立場というか、そういうところでの発言は全然大丈夫なのですが、個人的に「こうしたい」「それはいやだ」「やめてほしい」「こういうことが好きだ」「こうしてほしい」など、自分の感情的な部分や甘え、拒絶などを表に出すのはだめなことだと思っていました。

子供の頃だと、いろいろあって辛い日や嬉しいことのあった日、どうしても母に話を聞いてもらいたかったけれど、その日はそばにいてほしかったけど、忙しくしている母に、自分のために時間を割いてくれとは言えず、淡々となんでもないようにふるまったり、大丈夫じゃないのに「大丈夫」と言ったり、

大学生の頃だと、やらなくてはいけない勉強もあり、バイトと授業で疲れてもいて、家でゆっくり体をやすめて、勉強もしたいのに、誘いを断ったら嫌われるかも・・と思って無理やり出かけたり、

大人になり職場で嫌なことを言われても、「やめてください」が言えずに愛想笑いでごまかしたり、

上司と後輩の板挟みになってどうふるまったらいいかわからなくて両方の顔色をみすぎて蕁麻疹がでたり・・・^^;

 

相手がどう思うか気にしすぎて自分を殺し、ストレスをためまくって、休みの日にはぐったり寝込んだりしていました。

 

今思うと、自分の感情を、うまく言語化するのが苦手だったのだと思います。

 

当時を振り返って、「こう言っておけばよかった」「言い返せばよかった」「自分の考えをぶつけておけばよかった」と、すごく後悔しています。

自分がどう生きたいのか、どうしたいのかを正直に言っても、自分のことを本当に思ってくれている友人や家族だったら、きっとそれを尊重してくれたはずなのに、

私が勝手に、こうしないと嫌われるかも、とかそういうのはだめだから、とか決めつけて勝手にストレスをため、心がすごくざわざわしていたのに、それがどういうことなのか、どう言えばいいのかわからなかった。自分を抑え、たとえそれが理不尽なことでも、他人に合わせてうまくやっていくのがいいのだと、そう思っていました。

 

 

「幸せになりたい」と思っていたけど自分にとっての「幸せ」が、どうしたいのかがわからないまま走っていて、先が崖かもしれないのに、全速力で前に走っているような、そんな生き方をしていたように思います。

 

競争社会から少し距離を置き、いろいろな本を読み、いろいろな人の人生を知り、歴史を知り、いろいろな物語で感情が揺さぶられ、感情のつまりが少しずつ抜けていき、素直に笑えたり、泣いたり、怒ったりできるようになりました。

 

好きなものを好きだと言えるようになりました。

 

「ごめん その日は無理なんだ。でも次の週なら大丈夫なんだけど^^」

こんな簡単な一言も 言えなかった私は何だったのか・・・

 

ふんわりと角が立たない言い方で、自分の意思を少し通す

できなかった自分は、体は大人になっても、心が子供でした。

相手を信じず、勝手に被害者になっていた。

 

利害関係が絡むと、自分を通すことは結構難しいけれど、

 

ふわっといい感じに少しだけ自分を通すスキルをもっと磨いていきたいなと思います。

 

自分も人も必要以上に傷つけないために。

 

 

次回は、ずっともやもやしていたことを、うまく言語化してくれている本に出会ったので、それをご紹介してみようと思います^^

 

お読みいただきありがとうございました^^